2013年10月24日

職場復帰しました

posted by JIEL STAFF at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鈴木 由子
4月から半年間休職して津村先生の研修生として過ごしましたが、この度10月から無事?に職場復帰をしました。
最初は、「半年も休んで大丈夫だろうか」と考えれば考えるほど不安になりました。なぜ、そんな不安だったかと言えば、休職直前に電子カルテの導入があったからです。それ以外の業務は、基本的に変わらないと思っていたけれど、電子カルテについては3月の段階では軌道にのっていないために毎日手探りの状態でだったのです。
みんなは、「鈴木さんが戻ってきたときには、運用も方法もしっかりできているから大丈夫だよ」と言ってくれていたものの半信半疑のままでいました。案の定、職場復帰したときに電子カルテのことを全く覚えていなくて、パン
ソンを起動するにしてもパスワードを忘れてしまったので電子カルテが開かず慌てました。些細なことができなくてみんなに教えてもらう日々です。
でも、看護は楽しくてやりがいを感じています。患者さんとのやり取りをはじめてとして南山で学んだことがいろいろなところで役に立つ実感があり、休職は充電期間でもあり、より良い看護を提供するための再確認の期間でもあったとしみじみと思いました。
 

2013年10月20日

忘れられない味

posted by JIEL STAFF at 02:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 杉山 郁子
今年は10月になって台風の襲来が続いています。
残念なことにあちこちで被害が出ています。
被害を受けた皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。

最近仕事で敦賀に行かせていただきました。
敦賀は私が子どもの頃、父が仕事で行くことがあり、また、そちらの人がいらっしゃることが多かったので、お土産の思い出があります。それは小鯛の笹漬けとかまぼこです。今回訪れた時に小鯛の笹漬けをいただいてきました。久しぶりのその味はとても懐かしいものでした。

そういえば、私には子どもの頃によく食べたもので、時々食べたくなるものがいくつかあります。今も足を運んで食べに行くこともありますが、中には食べられなくなったものもあります。大須のお好み焼き屋さんのお好み焼き。これは食べられなくなったものの代表です。私が子どもの頃にかなりのおばあちゃん(子どもの私には、そう見えただけかも…)だったので、もうかなり前にお店を閉じられてしまったのです。食べられないとなると本当に食べたくなります。皆にも食べてもらいたかったなぁと思います。あなたにも、そういうものがありませんか?

今月末に、もう一度敦賀に行きます。その時には、かまぼこ(確か小牧という会社のだったと思います)を買って帰ろうと思っています。また、懐かしい味に触れられるかなぁ

2013年10月14日

永遠に続く…

posted by JIEL STAFF at 22:27 | Comment(1) | TrackBack(0) | 岡田 衣津子

10月に入って、少し過ごしやすくなりましたが、それでも日中は暑いですね。毎日半そで+カーディガンの装いで今の季節をしのいでいます。

先日は、式年遷宮で伊勢神宮が盛り上がっていましたね。テレビでも伊勢および伊勢神宮を扱った旅番組をいくつか見ました。そういえば、私たちJIELの夏合宿は伊勢でした。帰りはたまたま御白石持行事をしているところを車で通りました。交通渋滞を恐れて、本当にさっと通っただけですが、記念すべき行事に少し立ち合えて、なんだかありがたかったです。

しかし、20年前ってこんなんだっけ?とふと考えてしまいました。20年前の私はすでに成人しているので、記憶にないはずはないのですが、盛り上がり方が違っていないでしょうか?もしかしたら、その当時はまだ浜松で暮らしていたからなのか?いずれにしても式年遷宮とは大変な行事なんだということが今回でよく分かりました。何年も前からこの時のために準備を進めているんですから。今回の式年遷宮が62回目ということなので、1300年くらい前から続けられていて、おそらくこれからもずっと続いていくでしょう。過去から脈々と流れる歴史の中で、自分が生きている期間なんてほんとにちょっとしたものなんだなと思います。だからこそ、今を一生懸命生きなければという思いにもなります。それがなかなかできないのですが…

先日美容院で同い年の美容師さんに髪を切ってもらいながら、しみじみ話をしました。「7年後にはオリンピック、14年後にはリニア新幹線開通、そうこうしているうちに次の式年遷宮ですよ」そのころの私はどうなっているんだろう…とりあえず健康でイキイキ楽しく生きていたらいいのにな。

2013年10月03日

銭湯

posted by JIEL STAFF at 08:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林 芳孝

 旅館の従業員が夜遅くにお風呂の見回りをしようとしていたところ、脱衣所が水でベタベタに濡れていた。どうしてここまで水浸しになったのだろう、と不思議に思ったら、その日宿泊していた修学旅行中の小学生がパンツをはいたまま風呂に浸かっていた、という話を聞いたことがあります。もう何年も前のことなので今はさすがにそういうことはないと思いますが、風呂にパンツをはいたまま入るなどということは、想定外だったろうと思います。

 私が子どもの頃、家に風呂がなかったため、銭湯に通っていました。今から思うと、銭湯には銭湯のルールがあったように思います。プールと同じで、子どもは水のなかではしゃぎたくなります。はしゃぐと湯が荒れる。大人は子どもを叱る。床が滑りやすいこともあるけれど、だれかにぶつかるかもしれないから大人が注意をする。頭を洗っているときも、横にすわっている人に湯やせっけんの泡など飛び散らないようにする。人様に迷惑をかけないでいっしょにその場その時間を過ごすルールが、銭湯にはありました。はっきり言う大人がいて、素直に聞く子どもがいました。

 風呂場という一糸まとわない裸と裸の社会だから、一時的ではあっても知らない人間同士が過ごす空間を気持ちよくしたい、ということがあったのではないか、と思います。銭湯ではその時の“家族”ができ、共に過ごす教育がなされていたのだろう、と思います。もっとも、入れ墨のお兄ちゃんは怖かった。怖かったけど、見たかった。