2013年12月28日

ある研修を通して感じたこと

posted by JIEL STAFF at 14:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鈴木 由子
狭い世界に中にいると自分のまわりことしか見えなくなります。
ー意識して違う世界に身を投じてみて、はじめて知る世界から今の自分を見るー
これは、ある研修を通して感じたことです。普段の研修は大人を対象にすることが多いのですが、その時は中学生に授業しました。
思いがなかなか通じないことがありました。それは、全部は通じないわけではないのですが、「肝心なことが伝わっていない」と感じていました。どうしてなのか、こちらの伝え方が悪いだけだと思っていました。でも、それだけではないようです。言い方、聞き方の問題ではなく、私の感じている物の見方や感じ方と違うから言葉を分かち合うことができないのだと思いました。

分では、わかりやすく説明しているつもりでもわかってもらえないことが多いことを感じました。学生に関わったことで今まで意識しなかったことを意識できるようになりました。気持ちが通じれば、話が理解してもらえるし行動にもつながっていくことを大人より実感できたからです。相手の心に響くような思いを持つことがないと単なる言葉は聞き手から素通りされてしまうのだと中学生に教えられました。
 
 
 
 

2013年12月20日

今年をふり返って

posted by JIEL STAFF at 01:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 杉山 郁子
今年もあと残すところ10日ほどになりました。
私の授業もあと1日。
その後は打ち合わせやミーティングの予定が手帳に並んでいます。
ああそうだ、レポートも読まなくちゃ。

この頃になると、今年1年をふりかえって10大ニュースだとか
今年を表わす○○だとか、今年のベスト○○賞だとかが発表されます。
ざくっと1年をふりかえるのには良い方法なのかもしれません。
例えば今年の漢字は「輪」でした。確かに流行語大賞の「お・も・て・な・し」には一致しています。
あなたはこの決定、ピンときますか?

私は実習を実施した時になどに、ふりかえり用紙を書く際に「具体的に書いてください」と言います。
抽象的では次の試みに繋がりにくく、体験学習の循環過程を回しにくいと考えているからです。

「抽象の階段」という考え方があります。言うまでもなく、抽象度を上げたり下げたりすることで、どのような考え方や表現ができるかを整理していくのに役に立つものです。
簡単にいえば、抽象度を下げれば具体的になり、個々のことに取り組みやすくなります。抽象度を上げれば物事を大きくとらえることができ、何かのきっかけが得られるかもしれません。
時と場合に合わせて、抽象の階段を上がったり下がったりすることが必要なのです。

このように考えてくると、私にも「輪」は意味あるものに思えます。
2013年の残された数日を、今年を表わす漢字「輪」をきっかけに、来年の私に繋がっていくことを、抽象の階段を下りて考えたいと思っています。

2013年12月10日

真面目に語り合うこと

posted by JIEL STAFF at 23:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 水野 節子
先日、中学1年生の生徒さんを対象に、ラボラトリー方式の体験学習を用いた半日授業を行いました。そのときに自分を支えてくれた人や今、支えてくれている人たちを色や形で描いて、自分の対人地図をつくる「わたしの対人地図」という実習を実施しました。多くの生徒さんが熱心に対人地図を書き、ふりかえりの時間には人それぞれに自分の思うことを素直な言葉で綴りました。ただ、わかちあいの時間になると、ふりかえり用紙に綴ったコメントをそのまま読むこともままならず、一部分を読むだけで発言の順番を終えてしまう生徒さんがあちこちにいて、ちょっぴり残念に思いました。

ところが、授業の合間の放課中に3人の女の子たちに「どうだった?」と話しかけてみると、一人の子が「対人地図をやったあとのわかちあいで、初めて男の子と真剣に話しました」と言ったのです。そんなグループがあったとは気づかなかったので、「えっ、本当?どんなふうに話したの?」と興味津々で尋ねました。すると、その子は「男子がすごくていねいに自分と対人地図に書いた人たちとのつながりを話してくれて、私はそんなふうに男子と話したことがなかったから、うれしかった」と笑顔で答えてくれました。それを聞いて、私もうれしくなりました。

人間には真剣に語り合える他者の存在が必要です。特に自分の気持ちの動きや環境の変化を感じやすい思春期は、自分の思いや考えを真面目に話せる他者がいることで、随分ラクになったり、逆に刺激を受けたり、あるいは思考を修正できることもあったりして助かります。そういう他者の存在はなかなか見つけにくいものですが、一度でも真剣に人と話す経験が持てれば、それ以降は茶化すことなく話すタイミングや感覚がつかめるようになるのではないかと思います。私はこの体験学習のわかちあいが、彼女たちにとってそんなきっかけになるといいと思いました。そして、そういう人間関係を築くことができれば、大人になっても他者に同調するだけの表面的な関係に終始せず、必要なときには人と真剣に向かい合えるようになっていく気がします。

2013年12月02日

プロ

posted by JIEL STAFF at 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林 芳孝

 「お釣りはないよ。釣り銭がないからね」と言われたときは、びっくりしました。何十年も前ではありますが、ロサンゼルスのバスでの出来事です。

 ブラジルのリオのバスは、定時に来ません。というより、バス停がない。だから、いつ来るかわからない。バスが来たら、手をあげて停めます。手をあげ遅れると、容赦なくバスは行ってしまいます。

 日本の電車ほど正確に時を刻むものはないのではないか、と思います。某地下鉄では、運転手は計器を見ずに今何キロで走っているかをピタリと当てる、そこまで訓練するのだそうです。

 

 北陸新幹線の運転台の窓にとりつけるためにガラスを曲げる工場が、テレビで映されていました。何層にもなるガラスを熱を加えて曲げます。1回目。1か所に空気が入りました。2回目、3回目、…。5回目でやっと完成。でも、工場長はそれを割りました。

 

 プロ野球のヒーローインタビューでは、選手が「ファンのみなさんのおかげです」というようなことを言いますが、「グランドキーパーの皆さんのおかげです」とは聞いたことがありません。オリンピックなどの選手でも、「コースの整備係の人に感謝します」とかは耳にしません。

 

 件の工場長は、12回目でオーケーを出しました。曰く、「いいものをつくるのがプロではない。人を幸せにするもの、人に感動を与えるものをつくるのがプロだ」。

 私を含めておそらく人は、今あるものが当たり前にあるものと思っているところがあるように思います。でも、私たちの幸せを願い、感動するものをつくることを心に据えている多くの職人さんがいる。ほとんどその声を聞くことはないかもしれない感謝の声も、人が不自由なく活動できていることを垣間見ることで自分の使命に置き換える。それがプロにとっての最高の喜びなのかもしれません。

 プロになるということ、プロの職人になるということ。そこには技術だけではない、技術を身につける過程で重ねてきたものの重みがあるように思います。それがプロであり、プロの職人なのだろうと思います。