2014年01月31日

大空小学校

posted by JIEL STAFF at 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林 芳孝
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 なぜそうなるのかはわかりませんが、与えられるべきときに与えられるものが下りてくることが
あります。1月18日の土曜日のお昼にたまたまつけたテレビの番組がそうでした。

 関西テレビ制作のドキュメンタリー「みんなの学校」です。文化庁芸術祭のテレビ・ドキュメン
タリー部門で大賞を受賞しました。映像の場所は、大阪市立南住吉大空小学校です。この学校は、
特別支援の対象となる子どもも同じ教室で学んでいる学校です。

 ある日、K君が転校してきました。前の学校の校長先生が、うちではどうにも預かれない、とか
で移ってきたのです。あの子がいくならうちの子は行かせたくない、という親もいたそうです。

 K君が転校して1日目、2日目。とくに問題なく一日が終わります。何日か経ち、K君が学校から
いなくなった、という一報が校長室に入ります。先生が見つけて教室に連れ戻しました。校長の木
村泰子先生がクラスの全員を集め、自身は教壇にすわってみんなに問いかけます。

「なにがあったん?」

子どもたちが順番に言っていくと、ひとりの子が「なんでこんな問題わからへんの?と言った」と
言います。木村先生は言います、「そりゃわからへんやろ。K君は長いこと病院に入院してて、学
校行ってへんし。…」。

普通に考えると、まずK君になぜ学校を飛び出したのかを問うことのほうが多いのではないでしょ
うか。場合によっては、責めたりもする。でも、木村先生はK君にそれについてはひと言もふれま
せん。「コンテントとプロセス」という視点で見ると、木村先生はコンテントにはそれほどふれず
に子どもたちの間でなにが起こったのか、そのプロセスに焦点を当てている、そう思いました。

別の日、K君が校長室に連れてこられます。K君はクラスの子に殴りかかったのでした。木村先生
が言います、「先生なあ、心配やねん、だれがってK君のことがやで。K君なぁ、教室に戻りたな
いなら、ここで勉強してもええねんで。どうする?教室に戻るか?」。K君は教室に戻りました。
教室に戻ると、K君に殴られた子が今度はK君めがけて殴り始めました。K君は返すことなく殴ら
れっぱなしでした。

この場面でも、木村先生はK君に対して「なんで人をなぐるねん?」とか「そんなことしたらあか
んやろ」とかは一切言いませんでした。言ったのはK君に対してのご自身の気もちでした。

数日後、授業参観の日です。一人ひとりが前に立ち、順番に自分の夢を話します。「医者になりた
い」とある女の子が言います。「お父さんが床屋をしているから、床屋をやります」と男の子。K
君の番です。

「暴力はふるいません、暴言ははきません」。頬に涙を流しながらK君は言いました。

木村泰子校長先生。本当に感動しました。もしできるなら、来年度の南山大学人間関係研究セン
ターの公開講演会にお招きして、直接お話をお聞きしたい、と思うのですが、津村センター長、い
かがでしょうか?

2014年01月20日

親ごころ

posted by JIEL STAFF at 03:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 杉山 郁子
今晩、1人暮らしをしている息子が夕食を食べに来た。
「いる?」というメールがくると、「面倒だな」という気持ちも起こるが、それ以上に何となく嬉しい。息子の予定に合わせようと思い、何を食べさせようかと考える。

息子は今ダイエット中で、私も必要だと思っている。でも、息子が来るとなると、彼が好きだからと色々食べ物を用意し、挙句の果てには何かしら好物を持たせてしまう。口では「食べるな!痩せろ!」と言っているのにである。

今回は、自動車保険の更新の相談もあった。今年からは息子の車は全て彼が維持することになっていて、社会人2年目ともなればそれが当たり前だと思っている。しかし、すぐに車検があり保険料が一括で支払えないなどと聞くと、分割にして余計なお金を使うなら私が貸してやろうかなどと考えてしまう。日頃は「しっかりしなさい」「いつまで親を頼っている」と言っているのにである。もちろん息子は保険契約を分割でした。

こういうことを“親ごころ”というのであろうか。私の両親も、私が行くことを心待ちにしています。どんなに文句を言われても、ご馳走をさせられてもである。そして訪問した最後には、「またゆっくり来てね」という。娘の立場だと「何で?」と思うが、親としては自分も同じことをしているように思う。そして損得勘定で言ったら、親ほど損な者はないと思う。

親というものは、死ぬまで子供のことを気にかけて、できることは全てやってやりたいと思って生きていくのでしょうね。そして、それがきっと喜びなのです。

2014年01月13日

実践 人間関係づくりファシリテーション

posted by JIEL STAFF at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 水野 節子
昨年末、私たち日本体験学習研究所の研究員がみんなで書いた本、「実践 人間関係づくりファシリテーション」が刊行されました。
http://www.kanekoshobo.co.jp/np/isbn/9784760826476/

この本は、1)心理学や教育学、人間関係論等に詳しくない人でも自らの日常に照らし合わせて読み進むことができる、2)ファシリテーターとして自分で学びの場をつくろうとする人が、ポイントを押さえて小講義とラボラトリー方式による体験学習のエクササイズを提供できる、という2大特長を備えていて、すべての章が次のような構成になっています。
 1.具体的な事例を挙げた問いかけの導入「あなたならどうしますか?」
 2.テーマについての小講義
 3.実際に活用できる体験学習のエクササイズ
 4.エクササイズを行ったあとのファシリテーターのコメント参考例
 5.章のまとめの小講義
 6.ファシリテーションを行う上でのテーマの重要性

例えば、私が担当した第6章「受け容れる」の場合、1の導入部分では、A)社員同士が挨拶さえしない企業で働く社員の事例、B)シャツにアイロンをかけた母親に対する息子の応答を挙げ、読者に自分ならどうするかを問いかけています。2の小講義「受け容れるとは」では、A)を受けて挨拶という行動がもつ受容の機能を、B)を受けて立場の違いを超えて相手を受容するために必要な行動を紹介し、その上でロジャーズによるカウンセラーの基本的態度「受容/共感的理解/自己一致」の3点を挙げて、受容と共感的理解の必要性を述べました。3のエクササイズは、そこまでに述べたことを実際に体験できるように合意形成の実習を紹介しています。4は3の実習を終えた学習者に、ファシリテーターが実習を行った意味や実習で起こりがちな現象を解説し、内省を促すコメントです。5ではそれまでの学びや気づきをさらに一般化し、自己受容と他者受容により自分自身の感情や認知、お互いの関係性が変容していくことを具体的な事例を挙げて述べました。6はファシリテーターを務める際に、目の前の学習者や自分自身の言動、そしてその場の状況を受け容れることの大切さを紹介しています。2と5の小講義は、私が公開講座で行う「アサーション・トレーニング」にも通じる重要な考え方であり、6のファシリテーターとしての心得は私自身にとっても大切な教訓です。

こうした流れで各章が書かれている「実践 人間関係づくりファシリテーション」は、そのまま学びの場に活用できる、まさに実践的な本です。多くのみなさんにお役立ていただけるとうれしいし、2014年度はこの本に基づいたJIEL公開講座の開催も予定していますので、ぜひ楽しみにしていてください。

2014年01月02日

不東

posted by JIEL STAFF at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林 芳孝

 不東。

 今年の賀状は「不東」にしました。三蔵法師・玄奘のことばです。

 『大唐大慈恩寺三藏法師傳』には、三度、「不東」の文字が出てきます。ひとつ目は、玉門関の手前の草原で西域行きを止められたとき、二つ目は、玉門関の外にある狼煙台で捕まったとき、そして三つ目は、砂漠で水の入った皮袋を落として水を失い、十里ほど戻ったときの三度です。三つ目ではこういっています。

「自念我先發願。若不至天竺。終不東歸一歩。今何故來。寧可就西而死。豈歸東而生。」(私は先に願を立てた、もし天竺に至ることがなかったら、東には一歩でも帰らない、と。今なぜ戻っているのか。むしろ西に向いて死ぬべきだ。どうして東に帰って生きられようか。)

 三蔵法師は目的を達し、インドに赴き、学びます。

 でも、三蔵法師の目的は、インドに赴き、学ぶことではありません。「東」に戻り、自分がインドで学んだことを多くの人に伝えることです。

 まだまだ学びが浅く、すぐに東に戻ってしまう自分です。それでもなんとか身心脱落し、少しではあってもこの身で、この心でお役に立てられるよう西に向かって歩んでいきます。