2014年03月31日
ブログからご無沙汰していました!!4月1日からよろしくお願いします!!
とともに、私は本務校での役職から解放される日でもあります。
ここ2年間、学生部長としての任務が後1時間半ほどで終わります。本当にいろいろなことがありました。言葉では言い尽くせないほどの出来事や業務でした。たくさんの学びとともに、たくさんのストレスフルなイベントに出会いました。この経験、きっとこれからの自分の人生にも役に立ってくれることでしょう。
と同時に、南山大学人間関係研究センターのセンター長とも、一区切りです。ラボラトリー方式の体験学習をうたったセンターとして、Tグループというコアなプログラムをこれからいかに大切に継続することができるか?結構、このことも大きな仕事になりそうです。
心機一転、一度自由な身になって、自らの新しい見いだしていきたいと考えています。
明日、2014年4月1日から、改めましてよろしくお願いします。
2014年03月19日
宮本武蔵?
私にとって内容はイマイチって感じだったけど、最後のほうで西田敏行が言った言葉が印象に残った。「克服したんですか?」と言う問いに「克服なんてできない。白でも黒でもない灰色に留まることが大切なんだ」という言葉です。つい最近のことなので見られた方の中には、「少しセリフが違うんじゃない」という方もいらっしゃるかもしれませんがお許しください。
私は若いころ白黒つけるのが大好きでした。特に好んでいるという意識があるわけではなかったのですが、はっきりとした性格だったのでそれが当たり前でした。ぐずぐずといつまでも悩んでいるのは苦手で、「まあこれでいいか!!」と、どこかでいろいろなものを切り捨てていたのだと思います。子どもができて自分ではどうすることもできないことがたくさん起こってきて、白黒つけたくてもできないことがあるようになりました。そしてやっと気づいたのです。灰色に留まることから得られるものが多いことを。
白黒決めればひとまず終わりにできます。でも、灰色に留まっていることは、その中にいつまでも居続けるということです。どんなにそれがスッキリしないことであっても、そこにいれば変化にも気づけるし、そこにいる人と一緒に何かをすることもできます。
私が人と関係をもつ時に大きなテーマとしていることの1つに「共にあること」ということがあります。灰色に留まることこそ「共にあること」なのかもしれないと思うのです。
先回、先々回で、岡田さんと水野さんがアサーションについて書いてくれています。私もアサーション繋がりで、この灰色に留まることを考えてみたいと思います。私は灰色に留まることは、ある意味アサーティブなことだと思います。アサーションとは主張するということですから、白は白、黒は黒とはっきり主張することとも考えられますが、私はアサーションにはやりとりをすることが不可欠だと思うのです。灰色ゾーンにいて「白かもしれない黒かもしれない」とやりとりをしていくことがアサーティブだと思うのです。白ゾーンから白を声高に主張すればアグレッシブ、黒ゾーンですでに黒にいるからと何も言わないのがノンアサーティブではないでしょうか。
私は比較的アサーティブな人だと勝手に思っているのですが、こう書いていて自信がなくなってきました。というのは、私は灰色ゾーンにいるということを人に伝えるのが苦手だからです。よく人に白と決めているだろうと思われてしまったりすることもあります。ということは、きちんと相手に自分のことが伝えられていないということで、ひょっとしたらアサーティブではないのかと思うのです。
私がアサーティブな人であるかどうかは別としても、灰色に留まることには大きな意味がありそうです。宮本武蔵は剣の道を究めることで、自分自身をも見つめていった人だと聞きます。その人生に影響を与えた一言である「灰色に留まること」を私もしばらく考えていきたい。
2014年03月16日
最初の思いは…
先日、JIELの研究員の杉山さんが私の職場である専門学校で1日アサーショントレーニングを実施してくださいました。学生にとっては最後の授業でしたし、1年間育てた学生を信頼できる仲間が来て授業をしてくれるということで、とても楽しみにしていました。事前に学生にも告知したり、杉山さんとも打ち合わせをして準備をしました。しかし当日2名の学生が来ませんでした。しかも1人は無断欠席です。また1人の学生は来たのに1コマ目が終了後、帰ると言い出しました。理由を聞くと「アパートのカギをとりに行かなくてはいけない」と言うのです。4月からの新生活に向けていろいろ準備があることは私も理解できますが、何もこの日を選ばなくてもいいのではないか?と思いましたが、今さら言っても仕方がありません。何より講師の杉山さんに申し訳なく、恥ずかしい思いが湧いてきました。休憩中に教務室に戻り、同じ学科の教員に状況を報告したところ「どうせあいつらはそんなもんですよ。」と言われました。かちんと来たので「担任に、出られるなら出ろと言われていると学生は言ってましたよ。先生がその程度なら当然学生は来ませんよね。」とかなり語気を荒げて言ってしまいました。その後もしばらくやりとりは続いたのですが、休憩時間が終わりそうだったので、私は勝手に「そういう状況ですから」とやり取りを終わらせ、教室に戻りました。教室では学生が「アサーションは難しい」「頭ではわかるけど、私は普段どうなのかな?」と言いながらも、一生懸命取り組んでいました。その姿を見て、ふと我に返りました。参加しないたった3人の学生のことばかりが頭の中を占めていましたが、大部分の学生はしっかり取り組んでいるのです。参加した学生が自分の学びを獲得できるために動くべきだと考え直しました。さらに、私は怒りの感情をむき出しにして同僚に関わりました。アサーションで言えばアグレッシブに表現しましたが、相手はノンアサーティブになるか、同様にアグレッシブになるかのどちらかなのです。いずれにしても関わりの後味は悪いものでした。私は怒りの表現をしましたが、最初の思いは怒りではありませんでした。私にとっては大切な学生で、これから社会に出るために学んでおくといいと思って企画した、いわばはなむけの授業です。この思いが学生にも他の教員にも伝わっていなかったことが「残念」だったのでした。その最初の思いに尾ひれがついて怒りに変わっていきました。でも「残念です」という最初の思いを伝えていれば、あんなにアグレッシブなやりとりをしなくて済んだのに…それがまた「残念」でした。アサーティブになるのはやっぱり難しいなと思いました。でも気づけて良かったです。学生以上に私がいちばん学んだのではないかと思います。
アサーションは率直に自分の思いを表現すればいいということではありません。時には率直に表現しないことを選択することがあってもいいし、こういう言い方をすればアサーティブになれるという特効薬もないと思います。相手との関わりの中で、自分の表現が相手にどんな影響を与えているか、また相手から与えられているかをしっかりみることが大切だと思います。前回の水野さんの話をかぶってしまいますが、やはりアサーションは単なる表現の技術ではなく相手との関わりであるということを痛感した出来事でした。
2014年03月09日
コミュニケーションは人間関係
私はJIEL公開講座で「アサーション・トレーニング」を担当しています。アサーション・トレーニングは、自らの気持ちや考えを正直に、率直にその場に合った適切な方法で表現するためのトレーニングです。それはコミュニケーションのトレーニングであると同時に、人間関係を築くためのトレーニングでもあります。攻撃的な表現ばかりしていると、相手を脅かしたり、防衛的にさせたりして、敬遠されるかもしれません。逆に従順に他者の意見や意向に追随してばかりいると、対等な人間関係を結ぶことが難しくなってしまうこともあり得るでしょう。まさに、コミュニケーションは人間関係なのです。
私はコミュニケーションに正解はなく、多様であっていいと考えています。しかし同時に、人は誰もが他者と対等な存在だとも考えているので、自分が人と対等にかかわるための知識やスキル、トレーニングは多くの人とともに学び、実践していきたいと思っています。
今年の「アサーション・トレーニング」は、5月3・4・5日の3日間。全くの基礎から事例を扱う演習まで行いますので、「アサーション」という言葉を初めてきいた人の参加も歓迎します。ただいま、参加者募集中ですので、詳細を次のURLでご覧の上、ぜひお申込ください。
http://www.jiel.jp/kouza-mizuno-assert2014.htm