きないと感じることがありました。それ以外にも自分の伝えたいこと言った後に相手にどう影響を与えるかを考えたり、感じたりすることができない子供が多くなったと感じていました。
ュニケーションがすべて悪いということはないのですが、双方通行のコミュニケーションをもっと重視したいと感じる今日この頃です。(そうはいってもこのブログも一方的なのですが・・・)
おそらく英語だとすべて”fall”になるのではないか、と思います。でも、日本語は違います。
さくらは「散る」。つばきは「落ちる」。うめは「こぼれる」。ぼたんは「くずれる」。きくは「舞う」。
移り変わる四季に繊細に反応して、そこに起こっていることをありのままに表現しています。しかし、花が開くときはすべて「咲く」なのに、花のいのちが絶えるときにはそれぞれの表現が異なっています。私たちの心象は、はかないものにあわれを思い、見たものに対する思いにいのちを宿そうとしているように感じます。花そのものは時季を終え、またのいのちは翌年にしか出会いませんが、そのいのちは果てることなく、根や、茎や、葉がようようとつないでいきます。その全体がひとつのいのちとして脈々と生を育んでいきます。
庭のチューリップの花が咲き始めました。チューリップの場合は、「ひらく」がいいかな、「脱ぐ」がいいかな。3年目のチューリップです。
3月21日から23日までの3日間、体験学習ファシリテーター・セミナーを開催しました。
この時期ならではの人事異動であいにく参加できなくなった方もいらっしゃいましたが、人数が少なかったこともあったのでしょう、濃密な時間が過ごせた、と自負しています(手前みそ!)。経験者あり、初心者ありの多様多彩な状況のなかで、とくに初心者の方は右も左もわからないうちにあれをやれ、これをやれと急かされて、さぞとまどわれたことだろうと思います。申し訳ありませんでした。しかし、だからこそのラボラトリーなのだろう、と思います(言い訳!)。参加された皆さんは、経験の差こそあれ、皆さんなんらかの形でご自身の分野や職域をなんとかしたい、そこの人たちが自主的自発的に動けるような支えになりたい、まさにファシリテートしたい、という思いの熱さが空気をつくり、互いに育てあう環境へとつながったのだろうと思います。
かくいう私も、今回の体験は今までの自分とは違った自分を感じることがありました。それは、皆さんがチャレンジされた実習とそのファシリテーションによる自分のかかわりや作成したものから感じたり、気づいたことがあります。皆さんがファシリテーター役を終え、それに対するフィードバックをする時間をもちましたが、フィードバックはファシリテーター役の人に伝えることばかりでなく、私自身がフィードバックすることから多く学ぶことがありました。
毎回お昼は全員でてんぷら、中華、洋食とごいっしょできたのも楽しいひと時でした。ただ、夜に一献傾けながらの時間がなかったのが心残りでしたが…。皆さん、どうぞご自身の現場でご活躍を!
日本人が桜にひとしおの親しみを感じるのは、いろいろな理由があると思います。
今年の冬は、例年に比べて寒かったような気がします。名古屋では3月に入っても雪が降った日がありました。冬のきんとした寒さには、赤い椿の花がお似合いのように思います。その寒さの終焉を告げるように、椿は花ごと落ちます。
ほのかに漂う香りをもつ沈丁花や、おいしそうな乳白色の木蓮も春の到来を感じさせてはくれますが、赤子がいつ立つか、いつ立つかと心待ちする親心のように、桜前線の北上を気にしながらこの季節にそよぐ空気の暖かさを肌身に感じる。一斉に咲き誇る花の勢いと、それほど強さを主張しない花の淡さも手伝って、私たちは新しい年度に立ち、歩み始める秘めた思いを確かめるのだろうと思います。
さくらさくらさくさくらちるさくら
有名な山頭火の句です。「さくさくら ちるさくら」、咲くさくらもあるし、散るさくらもある。「さくらさく さくらちる」、さくらが咲き、そして散っていく。前者は、いろいろなさくらのありようを、後者はさくらの移り変わりを表している、前者は空間を、後者は時間を読む人に感じさせる、そんな印象をもちます。でも、どちらもさくらです。一年のこの時期に、私たちに春の訪れと気もちを新たにすることを投げかけるさくらの淡さです。
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