2014年09月27日

【女性セミナー】 今までの“私”これからの“私”〜心を見つめて〜

posted by JIEL STAFF at 11:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 水野 節子
女性セミナー.jpg6月から7月にかけて、なごや女性カレッジで行った5回シリーズの講座「自他尊重のIメッセージ 〜アサーティブ・コミュニケーション」をきっかけに、千種生涯学習センターから掲題の講座の4回目の講演をご依頼いただきました。

昨日、打合せに行ってきて、講座そのものがしっかり企画されていることに感心しました。カウンセラーの話をもとに、ありのままの自分の心との向き合い方を考える1回目から、箱庭療法の先生のもとで実際にバウムテストをやってみながら自分を知る2回目、交流分析を通じて自分のコミュニケーションを知る3回目、そして私が担当する4回目のアサーティブ・コミュニケーションへと続きます。さらに、5回目は映画にみるロールモデル、6回目は自分の好きなことを深めて紅茶専門店を経営する女性のお話、7回目は講座のまとめとして、自分と社会の新しいつながりを考える回ということで、毎回その分野の専門家が担当してリレー形式で進める展開とその構成が面白いと思いました。女性のキャリア、社会化というと、具体的な経験・スキルに焦点が当たりがちですが、「心」という目には見えないものに焦点を当てた講座であることも注目に値します。

こうした講座を企画された方が、私が担当するアサーション・トレーニングの評判をきき、関心を持ってくださったことも大変うれしく思います。プログラムの画像をご覧いただくとわかりますが、1月15日から3月5日まで毎週木曜日10:00から12:00までの講座です。120分という限られた時間ですが、私は簡単なエクササイズを交えて、体験からの学びも得られる講座にします。よかったら、ぜひご参加ください。

受講料は無料ですが、お茶とお菓子代として毎回800円かかるそうで、それは6回目に登場する方の紅茶専門店のお茶とお菓子とのこと。そういう発想の柔軟さも素敵だと思います。

お申込は以下のURLの最下部にある「名古屋市電子サービスはこちら」をクリックすると、WEB上でできます。
http://www.suisin.city.nagoya.jp/system/lecture/index.cgi?action=lect_view&key=00009472&search_flag=1&search_type=and&search_key=&search_instname=千種生涯&search_viewtime=午前&search_week=木&search_obj=&search_exprange=&search_field=

2014年09月20日

我が家の光景

posted by JIEL STAFF at 04:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 杉山 郁子
毎回悩むブログの日がまたやってきた。
今回は先日見た光景だけを書きたいと思う。

私の家のリビングの壁紙はほぼ白い。
夫と夕食を摂ろうとしていた時に、目前に小さな黒い点を見つけた。
汚れかなと思い夫が手を伸ばした。
そそっと黒い点が動いた。
蜘蛛だ。
まあそのままほっておこう。
するともう1つ黒い点が。
さっきのものより少し大きい。
こっちも蜘蛛だ。
夕食を摂りながら、この二つの点の動きに注目する。
小さい点の方が動きが速い。
少しすると両方の動きが止まった。
オッと互いの存在に気づいたな。
蜘蛛は争う?蜘蛛は蜘蛛を食べる?
上にいた大きい方の点が、今までより速い動きで下の黒い点に向かってサッと動く。
小さな点は糸を出しながら素早く下に向かって動いた。
大きい点の動きが止まった。
見失った?あきらめた?
小さい点が逃げ切ったか…
いや、また大きい点が動いた。
微妙な距離感だ。
小さな点はまた素早く壁紙からカウンターに置かれた小物置きにジャンプ。
大きな点はそのまま動きを止めた。
小さな点は動きの速度を落としながら小物置きの裏側に。
大きな点は所在なさげにほんの少し下に動く。
小さな点が再び現れた。
小物置きの端をうろうろ。
あっ、大きな点が小物置きに動いた。
小さな点はそれより少し早く見えなくなった。
二つの点が見えなくなった。
どうなる?
おっ、いたいた。
小さな点が近くのTVのケーブルの上を滑っている。
上に下にくるくるとケーブルに巻きつくように動いている。
楽しそうだな。
大きな点は現れない。
どこにいった?
小さな点は相変わらず少し休んだかと思うと、また上下にくるくると動いている。
「ご馳走さま」夕食が終わった。

2014年09月14日

学びの秋

posted by JIEL STAFF at 09:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 岡田 衣津子
この夏の大きな出来事はやはり、入院と手術、療養でした。ゆっくり休みました。休
み過ぎてなんだか自分が世の中から必要とされていないんじゃないかというような思
いにとらわれておりました。しかし、体調の回復、行動範囲の拡がり、仕事復帰とと
もに、そのような思いも消え去り、元気に生きています。からだとこころはつながっ
ているんだなと実感しました。

6月から金沢工業大学虎ノ門大学院の「イノベーションファシリテーション特講」と
いう科目を履修しています。簡単に言えばフューチャーセッションのファシリテー
ターを養成するもので、『フュチャーセンターをつくろう』の著者である野村恭彦先
生が担当されています。2週間に1度、虎ノ門ヒルズを横目に見ながら、通っていま
す。もう何回か受講しているのですが、フュチャーセンターやフュチャーセッション
とはどういうものかを自分の言葉で表現することが難しいです。あえて言うなら、
「予測不可能な未来について、ステークホルダーが集い対話をし、関係性を構築しな
がら豊かなアイディアを共有し、アクションを支援する場」というところでしょう
か。今はその方法論を学ぶことに忙しく、なんのためにどうしてやるのかとかフュ
チャーセッションのスピリッツのようなところを理解できていません。自分がしてい
ることを信じて、学び続けるしかないと思っております。

先日、授業終了後に野村先生とお話しする機会がありました。いろいろお話ししまし
たが、一番印象深かったのは「ファシリテーターは多様なステークホルダーのみなさ
んをいかに愛せるか、が大事なんですよね」という言葉でした。私が今まで体験した
ファシリテーションの場に来られる方々はほぼ学びたい意欲を持ち、好意的に受け入
れてくれる方ばかりで、いつも受講生のみなさんに助けられていることを感じていま
す。しかし、フューチャーセッションはテーマに関心を持つ人という共通した事柄は
ありながらも、どんな背景やニーズを持った人が来られるか、あらかじめわかりませ
ん。どんな方であれ、未来の創造性を生み出す人として一人ひとりを大切にできる
か、いかに関係性を築いていけるか、とても難しいことです。そして、自分と意見や
感覚が違うことを排除したり批判するのではなく、豊かなアイディアとして認識し意
見を傾聴できるかがキーだなと思いました。

私はソーシャルワーカーとして、社会で起こっているさまざまな問題をいかに解決で
きるかに関心があります。そしてその手がかりとして、住民がファシリテーションの
視点を持つことだと思っています。そんういう私が多様性のある人々を愛せるのだろ
うか…自分の視野の狭さを思い知らされる秋の一日でした。

2014年09月03日

易経に学ぶファシリテーションのシリーズを20話で一区切りしました!!!

posted by JIEL STAFF at 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | Boss
 ある日、ある方との出会いから、「易経」に出会いました。とても、刺激的なお話でした。
 大自然に学ぶこと、あるがままを受け容れること、その中で生きること。
 このことは、ファシリテーションのありようをまさにメタファで示してくれていると感じました。
 また、自分のファシリテーターとしての成長過程を考えるいい機会になりました。

 一連のブログの記事を読んでいただけるとありがたいです。

http://jiel.sblo.jp

 本日、20話をアップしました。しばらく、「易経」をしばらく学んでみようと考えています。

2014年09月01日

ひと生の経験

posted by JIEL STAFF at 18:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林 芳孝
 「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ〜♪」と山口百恵が歌ったのも今は昔。

 先日、つけっ放しのラジオから流れてきたのは山口百恵特集の「ひと夏の経験」。なつかしいなあ、と思いながらふと思う、「ひと夏」ってなに?夏にひとつ、ふたつ、っていうのがあるの?

 今年の夏は異常気象。確かに暑い日もあったけれど、今年に限って昼日中に水風呂に入る日は一日もなかった。ミンミンゼミやアブラゼミの声を聞いて暑さが増すことはあったけれど、ハテ、ツクツクボウシは鳴いたっけな、と思うと、季節の入れ替わりをきちんと感じないままに、秋の虫の声を聞きながら寝床についている。これじゃ、「ひと夏」は終わっていない。

 百恵さんが歌うように、自分の一番大切なものをあげられるくらいのが「ひと夏」であって、それは春ではなく、秋でもなく、冬でもない。やっぱりそれは夏なんだ。ツクツクボウシが鳴いていないのに、夏を終わらせてはいけない。

 人生も同じなのかな、と思う。ツクツクボウシが鳴いていないのに、夏を終わらせてはいけない。一番大切なものを小さな胸の奥にしまっておくだけでは、ツクツクボウシは鳴きはじめられない。もし一生を「ひと生」と呼ばせるなら、「ひと生の経験」ができる。ツクツクボウシに出番を待たせては、ツクツクボウシに申し訳ない。