知り合いの中で、納豆について話が出ました。納豆って、とても身体にいいことは分かっているのですが、私は苦手です。
30代前半までは、食べたことがありません。研修の仕事で講師のかばん持ちをしていた時、講師と共に参加者と昼食をしたのですが、当然のごとく納豆が出ました。その研修は、納豆の製造をしている会社の営業担当者が対象でした。立場上、食べるべきだったのでしょが、頑なに拒みました。それくらいダメだったんですね、当時は。それがTグループに参加した後くらいに、食べてもいいというか、食べず嫌いはまずいと思い、チャレンジしてみました(Tグループの効果、影響かも?)。食べ方は、色々と模索しました。天ぷら、すし巻き、汁、タタキ等々、でも結局“苦手”。まぁ、チャレンジして食べた自分にOKをつけて、納得させた(合理化)というか、区切りをつけました。
栄養があるので、何とか食べられるようになることを想いつつ、再チャレンジはいつになるかなぁ!
2015年04月29日
2015年04月23日
新聞の連載
私は、今、毎日心待ちにして読む新聞記事があります。
それは、知っている人も多いと思いますが、中日新聞に掲載されている未来工業の創業者である「山田昭男さん」の連載記事です。まだ、始まったばかりなので子供自体のエピソードやら若い時に夢中になった劇団のことが記事になっています。4/22の記事には、大垣で劇団「未来座」を創設し、二度目の定期公演のパンフレットに「未来座宣言」と題した一文が掲載されていました。
「始め私達は特定のリーダーを必要とした。が、現在は座員のすべてがリーダーの自覚を持っている。座は全員の自由な発言にのって運営されていく」(原文ママ)
新聞はさらにこう続くのです。「基礎固めという貴重な一行程を終えた今、私達は更に大きな成長を夢みている」(同)
その当時、劇団の舞台監督(ブカタン)であり公演の座長である山田昭男さんがすべてを決めるのではなく、皆で一つの舞台をつくることを大切にされていました。その考えは、やがて理想の組織像として「未来工業」の創設への繋がっていくのではないかと思います。
未来工業という「ホワイト企業」をどのようにして創ったのかについて、この先がすごく楽しみにしています。
中日新聞 「未来な会社のつくり方 K ブカタン 4」より
2015年04月19日
ひと手間かけても
ここのところJIELスタッフのブログには、食べ物に関係する内容が続いている。
4月1日に一般社団法人となって初めての私のブログは、それに合わせて食べ物の話を書くことにする。
10日ほど前に夫と熊野と高野山に旅行した。今年は高野山が開創1200年ということで御開帳があり、一度は行ってみたいと思っていたので足を運ぶことにしたのです。
旅行はありがたい仏像などに接し、綺麗な景色も堪能できてなかなか良いものでした。今回はバス旅行だったので、移動の途中で何度かSAやドライブイン、道の駅などに立ち寄りました。高野山を後にして最初に立ち寄った紀ノ川のほとりの道の駅では、よくあることですが、地元の農産物の直売をやっていました。なかなか新鮮な野菜や果物、惣菜などが並んでいたのですが、その中で最も目についたのが筍。朝掘りの手ごろな大きさのものが6本。糠も付いている。でも重い。半月ほど前から旬の筍を食べたいと思いつつ、大きな鍋を出して自分で茹でて、糠の茹で汁や大量の皮などのごみを処理するのが嫌で我慢をしていたこともあり、しばしずっしりとした魅力的な筍を手に思案していた。そこに夫の「鞄に入るなら持ってあげるよ」という声が…。「うーん。」確かに私が躊躇している理由の一つはクリアできる。「父さんが茹でてくれる?」という声を飲み込んで、「美味しそうだよね。」
結局、筍の誘惑に負けて買って帰り、帰るやいなや鍋を出し筍を処理して茹で、翌朝には仕事前に皮をむき水につけて冷蔵庫に保存した。友人二人にもおすそ分けした。筍は期待を裏切らず、とても美味しく春を運んでくれた。友人からも「美味しかった」の声をいただき満足感も。息子たちが独立して夫と二人になってから、料理に手をかけること(もともと大したことはないが)を殆どしなくなっていた私に、ひと手間かけることがもたらしてくれる喜びを思い出させてくれることとなった。
時には旬の食材を美味しくいただく時間を大切にして、細やかな幸せを味わっていこう。
4月1日に一般社団法人となって初めての私のブログは、それに合わせて食べ物の話を書くことにする。
10日ほど前に夫と熊野と高野山に旅行した。今年は高野山が開創1200年ということで御開帳があり、一度は行ってみたいと思っていたので足を運ぶことにしたのです。
旅行はありがたい仏像などに接し、綺麗な景色も堪能できてなかなか良いものでした。今回はバス旅行だったので、移動の途中で何度かSAやドライブイン、道の駅などに立ち寄りました。高野山を後にして最初に立ち寄った紀ノ川のほとりの道の駅では、よくあることですが、地元の農産物の直売をやっていました。なかなか新鮮な野菜や果物、惣菜などが並んでいたのですが、その中で最も目についたのが筍。朝掘りの手ごろな大きさのものが6本。糠も付いている。でも重い。半月ほど前から旬の筍を食べたいと思いつつ、大きな鍋を出して自分で茹でて、糠の茹で汁や大量の皮などのごみを処理するのが嫌で我慢をしていたこともあり、しばしずっしりとした魅力的な筍を手に思案していた。そこに夫の「鞄に入るなら持ってあげるよ」という声が…。「うーん。」確かに私が躊躇している理由の一つはクリアできる。「父さんが茹でてくれる?」という声を飲み込んで、「美味しそうだよね。」
結局、筍の誘惑に負けて買って帰り、帰るやいなや鍋を出し筍を処理して茹で、翌朝には仕事前に皮をむき水につけて冷蔵庫に保存した。友人二人にもおすそ分けした。筍は期待を裏切らず、とても美味しく春を運んでくれた。友人からも「美味しかった」の声をいただき満足感も。息子たちが独立して夫と二人になってから、料理に手をかけること(もともと大したことはないが)を殆どしなくなっていた私に、ひと手間かけることがもたらしてくれる喜びを思い出させてくれることとなった。
時には旬の食材を美味しくいただく時間を大切にして、細やかな幸せを味わっていこう。
2015年04月14日
今度こそは
2月の中旬からダイエットを開始しました。そんな内容をこのブログに書くのはいったい何度目でしょうか…。糖質制限や加圧トレーニングなど、ちょっとやっては断念することを繰り返しました。まったくお恥ずかしいことです。ある知人とダイエットの話をしていたとき、私が「やせられたとしてもそれを維持できるかが不安」と話したとき、「そういうことはやせてから心配しなよ」と言われました。かなりきつい言葉でしたが、まったく正論でした。正論過ぎて何も言えず、やってやろうじゃん!と本気モードにさせてくれました。
ダイエット方法はシンプルに「食べないこと」です。1日1食はしっかり食べますが、あとの2食はプロテインドリンクと栄養補助のサプリメントをいただいています。始めた当初はかなりつらかったです。今もおなかがキュルキュルなっていて、常におなかがすいている感じがあります。そういう感覚もだんだん慣れてきました。そして結果は2カ月で8キロ減。私にしてみれば快挙です。1日1食はかなり吟味して選びます。何も考えずに食べたいものを食べていたときは、何を食べてもそんなに満足しませんでした。食べても食べてもまだ食べたいような衝動がありました。ストレスを発散するために食べることに依存していたような気持ちすらします。
やせて健康になることが目的でしたが、おいしく食べることの大切さを知ることや女性らしいおしゃれを楽しむことなど、思わぬ素敵なおまけをいただいています。今度こそはやりますよ、私。
2015年04月11日
「しょうぶ学園」で思ったこと
鹿児島に「しょうぶ学園」という社会福祉施設があります。
そこには入所施設からデイサービスまで、いろいろな機能がありますが、多くの障がい者が創作活動を行う工房として有名です。独創的な刺繍、縫製による布作品は国内外から注目を集めているほどです。
そのしょうぶ学園を訪ねてみると、思いがけなくセンスのいい建物が立ち並び、真ん中には芝生の広場もあって、場所の明るさにまず感心。さらに芝生広場を望むレストランに入ると、天井が高い漆喰の壁の建物で、居心地のいいオシャレな空間にホッとしました。
なぜホッとしたかといえば、「福祉」の匂いがしなかったからだと思います。
レストランではおいしいサンドイッチセットを食べ、ショップでは純粋に面白い、欲しいと思える作品を眺めました。
唯一、一般のお店と違ったのは、レストランでカレーセットを頼んだ人のところに、「カレー以外は?」とウェイトレス、ウェイターが3回にわたって聞きに来たこと。その際の私たちの応答は、1回目は「カレー単品ではなく、セットです」とセット注文であることを強調。2回目はセットで付く何かが足りないのではないかと思い、「セットというのは…」とセットメニューの内容を読み上げました。しかし、それにもかかわらず、3回目にやって来たウェイターは「セットでつくものはみんなあります。ただ、今日はカレーが売り切れました」と言ったのです。
思わず、「そうだったんですか」と私たちは笑顔に。それは障がい者スタッフのコミュニケーション力だけの問題ではなく、私たちの思い込みの強さをも表す出来事だと思ったからです。ウェイターさんも「そうだったんです」と一緒に笑顔になってくれたときは、思わず救われた気分でした。そして、「こういうゆったりテンポで物事が進んでいけばいいのに」と調子良く思った私です。
しょうぷ学園にはレストランの他に、蕎麦屋やパン屋もあり、家族や友人と訪ねれば、ゆっくり楽しめます、また、縫い物工房の他に、陶器の工房、木工の工房があり、各工房とも窓越しに覗いてみると、、障がい者のみなさんが熱心に創作に打ち込んでいました。
アート感覚あふれるしょうぶ学園の世界が、一見してセンスよく間口を広げてまとまってきていることは、障害の有無にかかわらず、共有できる場所の見本のように思えて、私はうれしく思います。
http://www.shobu.jp
そこには入所施設からデイサービスまで、いろいろな機能がありますが、多くの障がい者が創作活動を行う工房として有名です。独創的な刺繍、縫製による布作品は国内外から注目を集めているほどです。
そのしょうぶ学園を訪ねてみると、思いがけなくセンスのいい建物が立ち並び、真ん中には芝生の広場もあって、場所の明るさにまず感心。さらに芝生広場を望むレストランに入ると、天井が高い漆喰の壁の建物で、居心地のいいオシャレな空間にホッとしました。
なぜホッとしたかといえば、「福祉」の匂いがしなかったからだと思います。
レストランではおいしいサンドイッチセットを食べ、ショップでは純粋に面白い、欲しいと思える作品を眺めました。
唯一、一般のお店と違ったのは、レストランでカレーセットを頼んだ人のところに、「カレー以外は?」とウェイトレス、ウェイターが3回にわたって聞きに来たこと。その際の私たちの応答は、1回目は「カレー単品ではなく、セットです」とセット注文であることを強調。2回目はセットで付く何かが足りないのではないかと思い、「セットというのは…」とセットメニューの内容を読み上げました。しかし、それにもかかわらず、3回目にやって来たウェイターは「セットでつくものはみんなあります。ただ、今日はカレーが売り切れました」と言ったのです。
思わず、「そうだったんですか」と私たちは笑顔に。それは障がい者スタッフのコミュニケーション力だけの問題ではなく、私たちの思い込みの強さをも表す出来事だと思ったからです。ウェイターさんも「そうだったんです」と一緒に笑顔になってくれたときは、思わず救われた気分でした。そして、「こういうゆったりテンポで物事が進んでいけばいいのに」と調子良く思った私です。
しょうぷ学園にはレストランの他に、蕎麦屋やパン屋もあり、家族や友人と訪ねれば、ゆっくり楽しめます、また、縫い物工房の他に、陶器の工房、木工の工房があり、各工房とも窓越しに覗いてみると、、障がい者のみなさんが熱心に創作に打ち込んでいました。
アート感覚あふれるしょうぶ学園の世界が、一見してセンスよく間口を広げてまとまってきていることは、障害の有無にかかわらず、共有できる場所の見本のように思えて、私はうれしく思います。
http://www.shobu.jp
2015年04月06日
私のバロメーター
忙しくなってくると自炊率が落ちていく。食べることは好きなので、一食一食を大切にしたいと思っている。昼間時間がないとき、惣菜パンをあわただしく食べたり、お店で味わって食べたり食べ終わったあと少しゆったりする時間もないような日が続くこともある。そんな時は夜も自炊する気力がでずに、コンビニ弁当や外食が続く。外食と言っても、遅い時間なので選択肢は限られる。コンビニや外食もさまざまなメニュー開発や努力をしているので、それなりに食べてみたいと思えるのだが、数日続くと気持ちがめげてくる。
また健康のことを考えると、野菜をたくさん取ることや味つけ、添加物なども気になって、やはり自炊したご飯は私にとってささやかな幸せだ。きっとお金を出せばもっとおいしいものも食べられるのだが、自炊したご飯はなんだか力が湧いてくる。自炊ができていること自体が、気持ちに余裕がある現れであり、バロメーターになっている気がする。
料理は、いろんな材料から何を創るかというクリエイティブな側面や、複数の料理をいかに手際よく同時に食卓に出せるかを工夫するなど、普段とは違う自分の頭や力を使うのも面白い。ただ料理のレパートリーへの意欲にも波があって、新しいメニューに挑戦したくなって、本屋へ料理本を買いにでかけ、新メニューを試してみるときもあれば、いつも同じ食材と料理をつくって代わり映えのしないメニューの繰り返しになってしまう時もある。
家族に「何を食べたい?」と聞くと大抵「何でもいい」という返事が返ってくるが、最近聞いたら、「和食。とにかく高タンパクで低カロリー」との答えが返ってきた。少し(かなり?)体重を減らしてより健康に気を遣いたいこの頃。毎日複数の料理を作るのはなかなか大変なので、今日は作り置きおかずの本を見て、トマトのはちみつレモンマリネときゅうりのにんにくラー油漬けという2品の常備菜を作ってみた。保存容器に入れて、冷蔵で3〜4日間保存可能なので、今週前半はあと1品つくれば自炊できそうです。 岸田美穂
また健康のことを考えると、野菜をたくさん取ることや味つけ、添加物なども気になって、やはり自炊したご飯は私にとってささやかな幸せだ。きっとお金を出せばもっとおいしいものも食べられるのだが、自炊したご飯はなんだか力が湧いてくる。自炊ができていること自体が、気持ちに余裕がある現れであり、バロメーターになっている気がする。
料理は、いろんな材料から何を創るかというクリエイティブな側面や、複数の料理をいかに手際よく同時に食卓に出せるかを工夫するなど、普段とは違う自分の頭や力を使うのも面白い。ただ料理のレパートリーへの意欲にも波があって、新しいメニューに挑戦したくなって、本屋へ料理本を買いにでかけ、新メニューを試してみるときもあれば、いつも同じ食材と料理をつくって代わり映えのしないメニューの繰り返しになってしまう時もある。
家族に「何を食べたい?」と聞くと大抵「何でもいい」という返事が返ってくるが、最近聞いたら、「和食。とにかく高タンパクで低カロリー」との答えが返ってきた。少し(かなり?)体重を減らしてより健康に気を遣いたいこの頃。毎日複数の料理を作るのはなかなか大変なので、今日は作り置きおかずの本を見て、トマトのはちみつレモンマリネときゅうりのにんにくラー油漬けという2品の常備菜を作ってみた。保存容器に入れて、冷蔵で3〜4日間保存可能なので、今週前半はあと1品つくれば自炊できそうです。 岸田美穂
2015年04月01日
土づくりから
何年か前に、思いつきで庭に枝豆の種を播きました。庭の花や木に水をやるくらいしかしたことがありません。庭の空いているところに播いただけです。数か月後、芽が出てきました。芽が出てくるとなんだか楽しくなるもので、可愛く愛おしくもなります。わが子は日に日に成長し、葉を広げ、花を咲かせ、実をつけました。結構な収穫量があり、その年はおいしく枝豆をビールとともに食べました。
連作はよくない、と素人は勝手に思い、次の年はなにもしませんでした。
それから数年後、げた箱から大根の種が出てきました。買ってきた油粕を土に混ぜ、説明書きにあったように畝を作り、種を播きました。1週間、10日と日は立ちましたが、一向に芽が現れません。今度のわが子は一筋縄ではいかないようで、そうなるとこれはなにかしないと育たないのだ、とわかります。まずは土づくりをしなければいけないのだろう、ではどうやったら土づくりができるのか、いろいろ調べているところです。
なにかを始める時の動機は様々です。自分が目指すところのものがあるから始めることもあるでしょう。そうせざるを得なくて始める場合もあるでしょう。他の選択肢がなかったり、必要にかられて始めたり、やらされるという時もあります。どんな動機からであれ、始めることにはエネルギーが必要となります。夢や目標に向かって消費するエネルギーは、エネルギーがエネルギーを再生産するようなところがあるように思います。たとえは変ですが、無駄になっていた減速時のエネルギーを再利用しようとしたハイブリッド・カーに似ている気がします。転じて自分の意志が(あるいは意志エネルギーが)伴わないと、気持ちや感情も萎えがちになり、意志のベクトルとは反対方向のベクトルが働いて、結局プラスのエネルギー量が減ることになる。この意志エネルギーを相乗的に、シナジー的に高めていくことはできるのか、できるとすればどうするか。
4月1日をもって日本体験学習研究所は一般社団法人としてスタートを切りました。代表理事をはじめとしてそれぞれのメンバーがそれぞれのもつ個性や特長をもって法人化へと向かいました。エネルギーはその質や中身や量も人それぞれで、だからこそエネルギーが産み出すものが多彩な実をふくらませます。マイナス(と思われる)エネルギーも、それがエネルギーである限りプラスのベクトルへと作用させることもできます。そこに描くもの、ありたい姿、望む社会があり、そのために土づくりをし、畝をつくり、種を播き、育てる、育む。成長する時間を楽しめることも(そして、なかなか芽が現れないことも)またエネルギーに変え、向かっていく。
アボガドを食べた後、その種を植えました。もとはメキシコ産だから、この芽が出てきたらご愛敬です。
連作はよくない、と素人は勝手に思い、次の年はなにもしませんでした。
それから数年後、げた箱から大根の種が出てきました。買ってきた油粕を土に混ぜ、説明書きにあったように畝を作り、種を播きました。1週間、10日と日は立ちましたが、一向に芽が現れません。今度のわが子は一筋縄ではいかないようで、そうなるとこれはなにかしないと育たないのだ、とわかります。まずは土づくりをしなければいけないのだろう、ではどうやったら土づくりができるのか、いろいろ調べているところです。
なにかを始める時の動機は様々です。自分が目指すところのものがあるから始めることもあるでしょう。そうせざるを得なくて始める場合もあるでしょう。他の選択肢がなかったり、必要にかられて始めたり、やらされるという時もあります。どんな動機からであれ、始めることにはエネルギーが必要となります。夢や目標に向かって消費するエネルギーは、エネルギーがエネルギーを再生産するようなところがあるように思います。たとえは変ですが、無駄になっていた減速時のエネルギーを再利用しようとしたハイブリッド・カーに似ている気がします。転じて自分の意志が(あるいは意志エネルギーが)伴わないと、気持ちや感情も萎えがちになり、意志のベクトルとは反対方向のベクトルが働いて、結局プラスのエネルギー量が減ることになる。この意志エネルギーを相乗的に、シナジー的に高めていくことはできるのか、できるとすればどうするか。
4月1日をもって日本体験学習研究所は一般社団法人としてスタートを切りました。代表理事をはじめとしてそれぞれのメンバーがそれぞれのもつ個性や特長をもって法人化へと向かいました。エネルギーはその質や中身や量も人それぞれで、だからこそエネルギーが産み出すものが多彩な実をふくらませます。マイナス(と思われる)エネルギーも、それがエネルギーである限りプラスのベクトルへと作用させることもできます。そこに描くもの、ありたい姿、望む社会があり、そのために土づくりをし、畝をつくり、種を播き、育てる、育む。成長する時間を楽しめることも(そして、なかなか芽が現れないことも)またエネルギーに変え、向かっていく。
アボガドを食べた後、その種を植えました。もとはメキシコ産だから、この芽が出てきたらご愛敬です。