2011年11月25日

あるエンカウンターグループ体験記(1)

posted by JIEL STAFF at 12:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
先日たまたま読んでいたエンカウンター・グループの本に、あるエンカウンター・グループ体験者の感想が紹介されていた。
ちなみに、ラボラトリー方式の体験学習の原点でもあるTグループに関する書物は少なく、反面、同じ集中的な非構成的グループ体験でもあるエンカウンター・グループに関する書物は比較的たくさんある。
僕自身はTグループ、エンカウンター・グループどちらの参加経験もあり、かつ、どちらも大変深い体験をさせてもらっている。
この両者の共通点は、どちらも非構成(予め課題やテーマがなく構成度が非常に低い)である点であり、それが故に、参加していない人への説明が難しい点である。
実は、その感想が、僕自身のTグループ及びエンカウンター・グループでの体験を的確に表現していて、とても驚いたのである。
また、もう1つ驚いたのは、その感想を書かれた方が、たった一回のエンカウンター・グループの体験からそれを書いたことである。
その方のグループでの体験の深さと、その方の体験を文字にして表現する能力の高さに感心し、その方に会ってみたくなった。
今回はこのブログで、この感想を紹介したいと思っている。
だけど、この感想はけっこう長い。そこで、2回ぐらいに分けて紹介しようと思う。
一応、念のために書いておくと。すべての参加者がこの感想のような体験をするという意味ではなく、あくまで僕自身がこの両グループに参加して感じたものをかなり代弁してくれているということと、Tグループに関心がある方に対して、何らかの情報になればという意図である。
出典は、 増田 實 「エンカウンター・グループから学ぶー新しい人間関係の探求」 九州大学出版会 1991年(P39〜P55) である。
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私にとって今回の清里が、全く初めてのエンカウンター・グループへの参加でした。少し本で読んではいたものの、この五泊六日の合宿の何があるのか、どんな人が集まるのか、何が起こるのか、自分はそこで何をするのか、自分で何を得ようしているのか、そのようなことも具体的なイメージが湧かず、ただ不安と緊張感と、それの加えて、まあなるようになるだろうという気持ちも参加前にはあったように記憶しています。
受付のあとの最初の全体会の進行は、ただひたすら状況を見守るだけでした。どう流れても自分は大丈夫だという感じもありました。(中略)
スモール・グループにいける最初のセッションは、「ここでは何をするのだろうか」という疑問に尽きました。(中略)「自己紹介でもするのですか?」という私の問いにも、してもいいし、別に決まっていない、という答え。(中略)自己紹介の名乗りが二人程度の人からあげられる。私自身は、自己紹介をしなかった。(中略)それが私自身をよく表すとは到底思われなかったから。そして沈黙。居心地の悪い沈黙。知らない人たちの中にいる、という極度の緊張感。普段の生活でなら間をもたせるだけの会話をして、それがとぎれれば挨拶をして別れてそれぞれの方向に歩み去るであろう。しかし、ここでは歩み去ることはできない。間をもたせるとしても、六日間、十二回のセッション全部を、そんな表面上の話で過ごすことは不可能と思えた。とにかくここでは、ひたすら十二名が集まって沈黙がある。私のじたばたは、今何をすればいいんだろうか。私の果たせる役割があるんだろうか。あるとすれば、それは何だろうか。周りのこうして黙っている人たちは、どういう人々で何を考えているんだろうか、という焦りからだった。
誰かが会話のボールを投げる。誰かが受け止めて、また投げようとする。でも、相手のことについては、そこにいる姿とその時に発した言葉とでしかわかっていないために、受けとめそこねて相手の機嫌を損ねてしまう時もある。表面上は「別に何でもありませんよ」と言いながら、心の奥の損ねた機嫌は、人に見せずにしまいこんでしまう。本音とたてまえ。それが使い分けられるのが大人、とされる社会がそこに顔をのぞかせている。私はそこにいながら、自分の出番と役割を黙って探しあぐねていろいろ考えて、でもそれではダメだ、などと思ってじたばたしているうちに冷や汗が出て、緊張の余り気分が悪くなっていったのを覚えています。
やがて二時間が経過し、第一回のセッションが終了して廊下に出ると、グループのメンバーの一人が、自分も初めての参加で居心地が悪かったけれど、何かしゃべりたければしゃべるし、しゃべりたくなければしゃべらない、という気持ちでいようと思っている、と話しかけてくれました。その言葉ですっかりふっ切れて、じたばたしていた自分と、じたばたの原因―「何かをしなければならない」という私の中に無意識に入りこんでいた指令―に気づきました。
「〜したい」ではなくて、「〜しなければ」という気持ちで生きてきたそれまでの自分から抜け出そうと、少し前からし始めていたのに。(中略)次のセッションからは、なるようになると自分をその場に預けて、状況にまかせて、くつろいだ姿勢をしたり目を閉じたりもできるようになって、おちついて参加していました。(中略)
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