先日、奈良で監督さんをゲストに迎えての映画の上映会をやりました。
上映した映画は「カンタ!ティモール」という映画で、監督は我が母校である南山大学の卒業生、広田奈津子さん(とても素敵な方でした)で、ちょうど今年で独立10周年を迎える東ティモールの人々を描いた映画です。
東ティモールの人たちにとって、この独立戦争は、人口の三分の一を殺され、誰もが家族や友人や隣人を失うという悲惨な体験をした戦争でしたが、東ティモールの人たちは、殺されても殺さずという意識も持ち、誰もが無理だと思ったインドネシアからの独立を、24年の独立戦争の末、独立を手にしました。
映画は、独立戦争の中、悲惨で、理不尽な体験をしながらも、インドネシアの人たちを恨んだり、憎んだりするのではなく「ゆるす」という、東ティモールの人々の姿を中心に描かれていました。
この映画を観て印象に残ったことはたくさんあるのですが、ぼくが体験学習やグループのファシリテーションをしている動機ともつながるお話をここで1つだけ紹介してみたいと思います。
言葉、言語は、その言語を生んだ世界観を色濃く反映するものであると思います。
欧米人は、私」というものを意識する言語体系を持ち、反対に、日本人は「私」を明確にしない主語が曖昧な言語体系を持ちますが、これなどは、欧米人と日本人の世界観の違いを言語が表していることの一例のように思います。
そして、東ティモールの人たちの言語には、「敵」という言葉、概念がないのです。
あえて、「敵」に近い言葉を探すとすると、「いまは、別の方を見ている人」という言葉になるそうです。
映画で、このエピソードが紹介されている場面を観たとき、東ティモールの人たちは、なんて柔らかな、平和な世界観をもった人たちなのだろうと、こころをうたれました。逆に、ぼくたちは、日頃、「ただ、いまは別の見方をしているだけの人」を敵とみなし、憎み、恨み、戦っていないだろうかという思いが浮かびました。
ぼくも、東ティモールの人たちのように、自分の信念や価値観と違うものを持つ人たち、反対のものを持つ人たちを、敵ではなく、「今は別の方を見ている人」というゆるみをもって見れるといいなのだけどなと思いました。いまの自分にはとても難しいことだども、いつかそうできればと。。。。。
映画には、他にもたくさんの平和や、ゆるしについてのお話が描かれています。
まだご覧になっていない方は、是非一度「カンタ!ティモール」、ご覧になってみてください。