2012年12月04日

ろうガーン

posted by JIEL STAFF at 12:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | 山岸 裕


(林さん、すぐにかぶせてごめんなさい)

岡田さんの先日のブログとかぶりますが、
35才に、筋肉痛は翌々日になるようになり、40才に、気がつけば手の甲にシミができ
先日、気がつけば、ついに老眼になってしまってました

ぼくは乱視が強かったせいか
仕事柄、細かな数字を見ることが多いにもかかわらず
48才の今まで、老眼とは無縁だったので
自分は、老眼にならないんだと思いこみ
周りの同じ年頃の人たちが老眼になって行く中
自分が老眼でないことが、若さの印みたいに感じて、密かに自慢に感じてました
それが、先日、電車のポケット時刻表をみようとしたら、なんだかボヤけてよく見えません
顔を近づけても、やっぱりハッキリしません
時刻表から、ふと目を離したら、ピントがあいました
ん?どういうこと?
一瞬、何が起こったのか、わかりませんでしたが
次の瞬間、ガーンとショックを受けました
そうです、ぼくの若さの印がまたひとつ失われてしまったのだと気づ
きました

ぼくたち人間は、老いて死に向かっていく過程で
いままで、出来たことを、出来るようになったことを
ひとつひとつ奪われていきます
まだ、多くのことが出来ないままであるにもかかわらず

これからは、何かが出来る能力に価値を置いていては
ドンドン、自分の価値が下がっていかざるをえない年齢に入ったわけです

人間って、どうして何もできない赤ん坊で生まれてきて
成長するにしたがって、いろいろな頃が出来るようになっていき
なのに老いていくことで、また赤ん坊のように何も出来ない状態に戻っていくのか
この、ゼロからはじめまたゼロに戻る、人の人生にどんな意味があるのだろうか?
老いってなんなのだろう?って、思ってきました
そして、いまの時点では
きっと、人間は、老いを必ず経験することを通じて
何かが出来ることが、人の価値を決めるわけ
ではないということ
何も出来なくなっていく自分を受け入れるということを
嫌でも学ばなくてはならないように、神様から運命づけられたのだろうと
そのように自分なりに老いを位置づけてきました
そして、老眼になったという事実は、その運命により、いよいよ自分自身も価値観の転換をせまられる人生の時期に入ったことを
まさに、つきつけられる出来事になったわけです
人生という師は、不肖の弟子を、安全なCゾーンにいつまでもいさせてくれないようです

そうそう、林さんに、ツッコミをいれられる前に、これも書いておかないと
書き漏らしていましたが
老眼以前に、髪の毛は、もうとっくに衰退しておりますが、、、

この記事へのコメント
大阪経済大学の西です。
お忙しいところすみません。
お伺いしたいことがありなんとか連絡をとらせて頂きたくコメントさせてもらいました。
よろしければ
gogochance-.-0205@i.softbank.ne.jp
までご連絡お願いします。
Posted by 西 涼介 at 2013年02月01日 13:28
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