2013年02月04日

やさしいドライヤー

posted by JIEL STAFF at 12:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
昨年の12月、千刈キャンプ場で開かれた10日間のエンカウンター・グループに参加してきましたが、このとき、セッションの中でメンバーに、ある一言を言われたことがとても印象に残っています。その一言とは、「やまだんは、やさしいドライヤーみたい」でした。
やさしいドライヤーと書くと、なんだか髪にやさしい、いいドライヤーのように誤解されるかもしれませんが、決してそういう意味ではありません。少し説明すると、会場になった関学の千刈キャンプ場のお風呂には、備え付けのドライヤーがありましたが、このドライヤー、吹き出る風が弱すぎてドライヤーとしてぜんぜん使い物にならない代物でした。ぼくは、このドライヤーにたとえられたわけです。
ドライヤーとして役立つためには、しっかりと強い風を吹かせないと意味がない。つまり、しっかりと相手の心に自分が言いたいことを届けたいのなら、あれこれ気を使って、言葉を、態度を緩めたりせずに、ブワーッと強い風のような、しっかりと髪を乾かせる風の強さをもった言葉と態度で伝えることが必要だと言われたわけです。言われたぼくは、そう受け取りました。
きついフィードバックを、穏やかな、緩めた言葉がけなどで表現するのは、ぼくの持ち味でもあると認識していましたが、伝える内容、伝える相手によっては、かえって邪魔になる気づかいになることに、気づかせてもらえたフィードバックでした。そして、そもそもこの気づかいは、何のためだったのか?
いいように言えば、伝えられる相手が受け取りやすいようにとも言えけど、その裏には、強すぎる言葉を使って自分が相手を傷つけてしまうことへの恐れ、自分が悪く思われないように、嫌われないようにするための、自分のための気づかいでもあったように思います。
ある人が、変わりたくても変われない自分の囚われに気づくきっかけになる出来事や言葉は、決してその人にとって受け入れやすい、受け取りやすいものではないでしょう。そして、その受け入れがたい、受け取りにくいものが、逃げようもなく、目を背けられないぐらいの強さを持って、その人につきつけれられ、感じられたときにだけ、その気づきのきっかけとなる行為や言葉が、人のこころの奥底に届くのだと思います。
その意味で、ぼくから発せられる言葉や行為は弱すぎて、嫌われるのを恐れたやさしすさのために、まるで役立たずのやさしいドライヤーだったわけです。ぼくにとってこの言葉は、これから、誰かが自分の深く大きな囚われに向き合おうとするとき、自分が強いドライヤーとして、真のやさしさをもって、その人と共にあることができるようになりたいと、心を新たにする再出発点となった気がします。しっかり役立つドライヤーとして、このことを伝えてくれたKさんに感謝です。
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