知り合いの中で、納豆について話が出ました。納豆って、とても身体にいいことは分かっているのですが、私は苦手です。
30代前半までは、食べたことがありません。研修の仕事で講師のかばん持ちをしていた時、講師と共に参加者と昼食をしたのですが、当然のごとく納豆が出ました。その研修は、納豆の製造をしている会社の営業担当者が対象でした。立場上、食べるべきだったのでしょが、頑なに拒みました。それくらいダメだったんですね、当時は。それがTグループに参加した後くらいに、食べてもいいというか、食べず嫌いはまずいと思い、チャレンジしてみました(Tグループの効果、影響かも?)。食べ方は、色々と模索しました。天ぷら、すし巻き、汁、タタキ等々、でも結局“苦手”。まぁ、チャレンジして食べた自分にOKをつけて、納得させた(合理化)というか、区切りをつけました。
栄養があるので、何とか食べられるようになることを想いつつ、再チャレンジはいつになるかなぁ!
2015年04月29日
2015年03月22日
「さくら」から…

ちょっとした時間でしたが、自然と接することで、心がゆったりとしました。
話が飛びますが、十数年前に、環境教育に興味があり、仲間と一緒にNPOを立ち上げました。今は休止状態ですが、その時に、メンバーで考えた「理念」が今でも心の奥底に残っています。その理念は、『@立場より、一人の人間として、次世代に負を残さないよう、身近な生活環境について問い続ける。A気づきを強要せず、楽しく学べる機会と情報を共に創り出す。B広い視野に立って、価値観の多様性を認めながら着実に活動を進める。』でした。このNPOの活動で、間伐材を使っての筏レース、手作りラーメンのワークショップ、先進事例の調査を行ったことが、とても印象に残っています。
ちょっとしたことから、色々なことに繋がり、過去の想いが想起し、とても面白く感じました。
2015年02月24日
霧の中!?

この問いに対して、教育的二律背反問題の事を考えていた時期がある。教師が学生に対して、学生主体などをあげ、授業などで「主体的に動きなさい」という教師のかかわりは、そのかかわりをすること自体が、学生に主体的に動くことを阻害することになるのではないかと。教師が主体的に動くように言った通りに学生が動くのであれば、それは既に主体的ではなく受身的であり、教師の言った通りに動かなければ、主体的には動かないことになる。
では、この問題にどう対処していけばよいのであろうか。パーキンソンは、「誤りから学ぶ教育に向けて〜20世紀教育理論の再解釈」(2000)の著書の中で、“教育のダーウィン的理論”からの視点で教育の再解釈をしている。ダーウィン的解釈による教育理論は、「誤りからの学習」といい、学生は知識、行動、自己概念を創造するが、間違い易い創造者であり、秩序を求める生命体であるため、間違い・誤り・不十分さを発見することにより、いつでも知識や行動を発展させられる。また、現在の知識や行動を修正することにより学び、向上し、成長する。この理論は、学生が本質的に善良で賢く、好奇心があり、学習に意欲的であることを仮定していない。認知的不均衡に出会い間違いを認識すれば、学習は生じる。教師がやることの最も重要な点は、学生のための教育的環境を創造することである。その環境下で学生は、自らの実際の行動や知識の間違いや誤りを認識、発見することができ、それらを排除し、もう一度試みることができる、述べられている。
このことをヒントに、ファシリテーターとして、研修の参加者にかかわるとしたら…、まだ結論にまで達していなくて、まだまだ「旅の途中」というか、霧中(夢中)です。
2015年01月23日
清流 長良川

木曜日になって、目の前に長良川を据え、仕事の打ち合わせの時の「いまここ」はどのようであったかを思い起こしていると、「いまここ」ではなくて、「かつてのあの時」のことが、思い起こされどんどん膨れ上がってきました。「かつてのあの時」というあの時とは、高校時代のことです。通っていた高校は、長良川の北側にあり、毎日バスから長良川を眺めていました。クラブ活動で、その長良川から珪藻を採取していたことや近くの金華山にクラブの先輩と野鳥や昆虫観察に行ったりしていたことが思い起こされ、その中にはその当時憧れだった人のことも。何と言うか甘酸っぱい感覚が沸いてきました。
「いまここ」を捉える時、ここで起こっている人との関係で起きていることや自分の内部で起こっていること(いま目の前で起きていることについて自分はどう感じ思っているかと共にかつてのあの時のことについて等々)と、どうつき合いかかわっていくか、まだまだだなぁと「いま、思っています」。
2014年12月23日
2014年11月29日
ウォーキング
もう11月末。あと少しで今年も終わりになる。「今年も一年早かった!」と思いつつ、今年の目標は4キロの体重減だったが未達に終わりそうだ。運動不足もあり、ウォーキングをすることで体重を減らそうとしていたが、そう毎日は続かない。何とか、週に2回はウォーキングをしているが、それも忙しくなると滞りがたになる。結果は…、それでは付いてこないよねぇ、と言い訳やら情けない気持ちが沸きあがってくる。でも、ウォーキングをしていると、頭の中に散らばっている色々な思いや気持ちが、何気なく整理される時間になっている。また、普段見落としている季節の風景に出会う。結構、これらが気持ちいい感じ。
来年こそは、新年を迎えた時に決心した「目標」は達成させよう!、とまだ一年が終わっていないのに思っている自分がいます(今年の目標は既に諦めている…)。
来年こそは、新年を迎えた時に決心した「目標」は達成させよう!、とまだ一年が終わっていないのに思っている自分がいます(今年の目標は既に諦めている…)。
2012年02月07日
時と共に はるかな海への想い
海に浮かぶ船を眺めていると、ふと想起されることがある。
ましてや見たことがあるPCC船であれば、なお更である。
先日、何気なく遠方の海をみていると、記憶があるロゴマークが飛び込んできた。
それは、最初に入社した会社のロゴで、研修として乗船したことのあるPCC船と同型のものであった。
もう30年も前のことであるが、その時のことが鮮明に蘇って来た。
それなりに大型船で、オーストラリアまで完成車と部品を輸送している船に、甲板員のひとりとして乗船した。往復で40日間程度かかったと記憶している。閉鎖された船という空間であったが、否だからこそ貴重な体験が詰まっていたのかもしれない。
大きな海からすれば、小さな木の葉のような「船」という空間である。そこで、体感したことは何とも言えぬ海との一体感であった。
見上げれば満点の星。足下を見れば碧き海。心臓の鼓動のごときエンジン音を響かせ、辛うじて浮かんで目的地に向かっている船。
この時間、この空間に溶け込んで、星や海と同化しても、不思議ではない感じであった。
この感覚は、時と共に忘れ去り今に至る。何か大切なものをどこかに置き忘れてきたのかもしれない。
しかし、はるかな海を眺め、船に出会うことで、大切な忘れ物を引き戻したのかもしれない。蒼き時代の事を…
※PCC(Pure Car Carrier)自動車専用船
ましてや見たことがあるPCC船であれば、なお更である。
先日、何気なく遠方の海をみていると、記憶があるロゴマークが飛び込んできた。
それは、最初に入社した会社のロゴで、研修として乗船したことのあるPCC船と同型のものであった。
もう30年も前のことであるが、その時のことが鮮明に蘇って来た。
それなりに大型船で、オーストラリアまで完成車と部品を輸送している船に、甲板員のひとりとして乗船した。往復で40日間程度かかったと記憶している。閉鎖された船という空間であったが、否だからこそ貴重な体験が詰まっていたのかもしれない。
大きな海からすれば、小さな木の葉のような「船」という空間である。そこで、体感したことは何とも言えぬ海との一体感であった。
見上げれば満点の星。足下を見れば碧き海。心臓の鼓動のごときエンジン音を響かせ、辛うじて浮かんで目的地に向かっている船。
この時間、この空間に溶け込んで、星や海と同化しても、不思議ではない感じであった。
この感覚は、時と共に忘れ去り今に至る。何か大切なものをどこかに置き忘れてきたのかもしれない。
しかし、はるかな海を眺め、船に出会うことで、大切な忘れ物を引き戻したのかもしれない。蒼き時代の事を…
※PCC(Pure Car Carrier)自動車専用船
2011年12月05日
足跡
深々と降り注ぐ雪。寒さを噛み締めながら、ふと脳裏に浮かぶ。
冬のあとには本当に春が来るのだろうか。
振り返ると足跡が薄っすらと見える。動けば足跡は必ず残るのだ。
心の中で囁く「小さな一歩が無ければ大きな一歩は始まらない」と。
この一節は、数年前にある機関誌の最終号で書いたものである。
果たして、あれからどんな一歩を踏み出していたのだろうか。
じっとその足跡を観ると、新しい可能性の渦が観えてくるかもしれない。
そんな足跡であって欲しいと思いつつ、今の自分を感じている。
今年の冬が終わり春が訪れる頃、私はどんな「ふりかえり」をしているのだろう…
冬のあとには本当に春が来るのだろうか。
振り返ると足跡が薄っすらと見える。動けば足跡は必ず残るのだ。
心の中で囁く「小さな一歩が無ければ大きな一歩は始まらない」と。
この一節は、数年前にある機関誌の最終号で書いたものである。
果たして、あれからどんな一歩を踏み出していたのだろうか。
じっとその足跡を観ると、新しい可能性の渦が観えてくるかもしれない。
そんな足跡であって欲しいと思いつつ、今の自分を感じている。
今年の冬が終わり春が訪れる頃、私はどんな「ふりかえり」をしているのだろう…
2011年11月07日
生物の最適条件と夜空に輝く星 と 纏まらないこと
書きたいことがあれど、考えが纏まらない。そういう時ってないですか。
ここ数日プログに書きたい内容を考えていたのですが、うまく纏まらない。そうこうしている内に今日になってしまいました。
先月末から宮脇昭さんがおっしゃっている生態学的な最適条件について書いてみたいと思っていて、「ある事」と繋がり、やった!と安心した途端に、その事は忘却の彼方へ行ってしまいました(ア〜ァ)。
次に書こうと思ったことは、たまに感じているキラキラと輝いている星と時間の流れについて。これについては書いていてどうもピンとこない。
そういえば、気がかりなことが数点、頭から離れなくて付きまとっている、今日この頃。やはり、こういう時は休むことが一番ですね。ということで、続きは次回に…!?
ここ数日プログに書きたい内容を考えていたのですが、うまく纏まらない。そうこうしている内に今日になってしまいました。
先月末から宮脇昭さんがおっしゃっている生態学的な最適条件について書いてみたいと思っていて、「ある事」と繋がり、やった!と安心した途端に、その事は忘却の彼方へ行ってしまいました(ア〜ァ)。
次に書こうと思ったことは、たまに感じているキラキラと輝いている星と時間の流れについて。これについては書いていてどうもピンとこない。
そういえば、気がかりなことが数点、頭から離れなくて付きまとっている、今日この頃。やはり、こういう時は休むことが一番ですね。ということで、続きは次回に…!?
2011年10月04日
青空

今回は全くの偶然に参加した企画の会場が茶臼山でした。
当時の自然や青空は全くと言っていい程、変わりがないものでした。優しく私を受け入れてくれている感じを受けました(全く個人的な勝手な感覚ですが)。
だだただ、自分の齢が重なりが、当時の情感を思い出すと、遥かなる時の流れの中で自分の微々たる歩みが懐かしくい感じるのみです。
果たして、自分の歩みはどんな意味があるのだろうか。否、たぶん意味は元々ないものだろう。
だから、敢えて、この時間・この場所、そして微小ながらも、この「宇宙の時間」の中に生きている意味があるのだろう!
こんな思いを想起させてもらった2日間でした。この機会を下さったみなさまに感謝です。
2011年09月05日
オクラの花は綺麗!!
林さんの「オクラ」に引き続き、オクラの話です。
オクラとは、植物界被子植物門双子葉植物綱アオイ目アオイ科トロロアオイ属オクラ(学名:Abelmoschus esculentus)と分類されています。
ところで、我が家のベランダのプランターにはオクラがなっています。
のんびりとベランダで家庭菜園をやりたいと言っていたのを憶えてくれていた知人が、オクラの花は白くてとても綺麗だということで種をくれました(感謝)。それで、プランターに早速植えてみました。綺麗な白い花が咲き「実」が辛うじて付いたものが頑張ってプランターにいます。(いつ収穫していいか分からなくてそのままになっているだけですが)
ところが、台風12号によるここ数日の強風と雨。葉っぱが折れたものが出てしまいました(悲しい…)。でもそんな中、「実」は踏ん張ってくれました。結構、粘っこいですね。
いつか、多忙な状態から解放されて、ベランダ菜園ができることを楽しみにしているのですが…
先ずは、やりたい意思を言葉にして、小さな一歩から積み重ねていこうと「粘っこく」思っています。その手始めがオクラでした。
オクラとは、植物界被子植物門双子葉植物綱アオイ目アオイ科トロロアオイ属オクラ(学名:Abelmoschus esculentus)と分類されています。
ところで、我が家のベランダのプランターにはオクラがなっています。
のんびりとベランダで家庭菜園をやりたいと言っていたのを憶えてくれていた知人が、オクラの花は白くてとても綺麗だということで種をくれました(感謝)。それで、プランターに早速植えてみました。綺麗な白い花が咲き「実」が辛うじて付いたものが頑張ってプランターにいます。(いつ収穫していいか分からなくてそのままになっているだけですが)
ところが、台風12号によるここ数日の強風と雨。葉っぱが折れたものが出てしまいました(悲しい…)。でもそんな中、「実」は踏ん張ってくれました。結構、粘っこいですね。
いつか、多忙な状態から解放されて、ベランダ菜園ができることを楽しみにしているのですが…
先ずは、やりたい意思を言葉にして、小さな一歩から積み重ねていこうと「粘っこく」思っています。その手始めがオクラでした。
2011年08月05日
刺激に対する反応
今日の朝日新聞の夕刊の「将棋熱ニューウエーブ」を読むと、最近の将棋ソフトはプロ棋士の棋譜を「評価関数」で分析し学習させることで、プロ棋士に肉薄しているとのこと。ここで疑問!今までの棋譜を分析し学習することから得られたもので、今までにはない新しいものには対応できるのであろうか?これに対する解答は、知りたいところですが…、それは後の楽しみに取っておくとして。
そのことから勝手に妄想の世界に入って思うことは、
「体験から学んで得たもので、想定外なことに対処できるのか?」という問いに対しては、どう考えられるのだろうか。体験学習の循環過程で、それぞれのステップにおいて質的な何らかのレベルがありはしないか…。更に言えば、よりメタ的な気づき、学びがこの問いに対して回答してくれるのかもしれないのかも…と。
既にこの解答はあるのかもしれませんが、自分の勉強不足を棚に上げて、思いつくままに発想を膨らますことは、自分にとってはこの乱世の社会を生き抜いて行く小さな原動力のひとつになる、と確信!? したいなぁ…
そのことから勝手に妄想の世界に入って思うことは、
「体験から学んで得たもので、想定外なことに対処できるのか?」という問いに対しては、どう考えられるのだろうか。体験学習の循環過程で、それぞれのステップにおいて質的な何らかのレベルがありはしないか…。更に言えば、よりメタ的な気づき、学びがこの問いに対して回答してくれるのかもしれないのかも…と。
既にこの解答はあるのかもしれませんが、自分の勉強不足を棚に上げて、思いつくままに発想を膨らますことは、自分にとってはこの乱世の社会を生き抜いて行く小さな原動力のひとつになる、と確信!? したいなぁ…
2011年07月04日
「と」の世界
7月2日土曜日の午前に久しぶりに本屋を訪れました。午後に予定が入っていたので、衝動買いの気持ちを抑えて選んだ2冊の中の1冊を読み始めた時に、起こった気持ちは、
神田橋篠治さんは、著書「精神医学の知と技 技を育む(中山書店)」の第1章 知と技を巡っての冒頭で、「と」について以下のように述べています。
「と」は不思議な助詞で、単に二つのものを並べてつないでいるだけではなく、二つのものの関係について連想する方向へ、読み手を誘う能力をもっています。日本語の持つ輪郭の淡さが「と」に力を与えているような気がします。ここでは、知と技の組み合わせから連想してみましょう。知のための技、技のための知、と連想すると、両者は対立していながら、互いに相手を必要としているのがわかります。技と無縁の知、知と無縁の技と連想するとさらにはっきします。すなわち、知と技は助け合わなければならないのです。
ここで、ふと、コンテントとプロセスのことが頭に浮かんできました。
コンテントのためのプロセス、プロセスのためのコンテント。コンテントと無縁のプロセス、プロセスと無縁のコンテント。と、連想してみると、コンテントとプロセスは、同時に起きているけど、関係性はどうなんだろう・・・、みえているものは偏りがあるだろうし・・・、その偏りを変えていく必要があるだろうか・・・、変えるとしたらどう変えるのか・・・、バランスよくしていくにはどうしたらいいだろうか・・・、概念学習と体験学習は・・・、等など、連想から妄想の域に行ってしまっていないか心配になっていたり、とこの週末、自分の内的世界に入り込んで、本の読み進む速度が極端に遅くなっていましたが、それはそれで納得感がありました。
これからは、少し、『○○「と」○○』の世界に入り込む時間を持ちたいと思う週末でした。
神田橋篠治さんは、著書「精神医学の知と技 技を育む(中山書店)」の第1章 知と技を巡っての冒頭で、「と」について以下のように述べています。
「と」は不思議な助詞で、単に二つのものを並べてつないでいるだけではなく、二つのものの関係について連想する方向へ、読み手を誘う能力をもっています。日本語の持つ輪郭の淡さが「と」に力を与えているような気がします。ここでは、知と技の組み合わせから連想してみましょう。知のための技、技のための知、と連想すると、両者は対立していながら、互いに相手を必要としているのがわかります。技と無縁の知、知と無縁の技と連想するとさらにはっきします。すなわち、知と技は助け合わなければならないのです。
ここで、ふと、コンテントとプロセスのことが頭に浮かんできました。
コンテントのためのプロセス、プロセスのためのコンテント。コンテントと無縁のプロセス、プロセスと無縁のコンテント。と、連想してみると、コンテントとプロセスは、同時に起きているけど、関係性はどうなんだろう・・・、みえているものは偏りがあるだろうし・・・、その偏りを変えていく必要があるだろうか・・・、変えるとしたらどう変えるのか・・・、バランスよくしていくにはどうしたらいいだろうか・・・、概念学習と体験学習は・・・、等など、連想から妄想の域に行ってしまっていないか心配になっていたり、とこの週末、自分の内的世界に入り込んで、本の読み進む速度が極端に遅くなっていましたが、それはそれで納得感がありました。
これからは、少し、『○○「と」○○』の世界に入り込む時間を持ちたいと思う週末でした。
2011年06月05日
趣味 ホンの一時
最近、時間に攻められて感じが強い。
好きな作家の宮城谷昌光さんの新刊本が出た時には、直ぐに買って、寝ることも忘れて読んでいたのが、最近はその気になれない(疲れている…のか)。視点を変えれば、楽しみをたくわえているとも言える(そう考えたいと思っている)。
そう思ったら、「歴史のしずく」(中央公論新社)を引っ張り出して、ちょっとだけ眺めてみると「P261の美徳」が目に飛び込んできた。
美徳
「上善(じょうぜん)は水の若し(ごとし)」
と老子は言う。最上の美徳とは水のようなもので、水は万物をうるおしながら万物と争うことをしない。しかも水は人のいやがる低地へ流れ込む。
人のためになり、人と争わず、人にへりくだる。人格をみがくということは、水をみならうことである。猗房(いぼう)はくりかえし自分にいいきかせた。『花の歳月』29
周りの喧騒から離れて、ちょっと、ほっとする。そんな「時」をもう少し長く感じていたい。
好きな作家の宮城谷昌光さんの新刊本が出た時には、直ぐに買って、寝ることも忘れて読んでいたのが、最近はその気になれない(疲れている…のか)。視点を変えれば、楽しみをたくわえているとも言える(そう考えたいと思っている)。
そう思ったら、「歴史のしずく」(中央公論新社)を引っ張り出して、ちょっとだけ眺めてみると「P261の美徳」が目に飛び込んできた。
美徳
「上善(じょうぜん)は水の若し(ごとし)」
と老子は言う。最上の美徳とは水のようなもので、水は万物をうるおしながら万物と争うことをしない。しかも水は人のいやがる低地へ流れ込む。
人のためになり、人と争わず、人にへりくだる。人格をみがくということは、水をみならうことである。猗房(いぼう)はくりかえし自分にいいきかせた。『花の歳月』29
周りの喧騒から離れて、ちょっと、ほっとする。そんな「時」をもう少し長く感じていたい。
2011年05月07日
・・・不思議な瞬間(とき)・・・
何かが弾けだしそうな瞬間。
新しい何かが創り出されそうな瞬間。
遥かなる声が聴こえそうな瞬間。
今までにない不思議な感覚を感じそうな瞬間。
何かが自分の中で、起きそうな感じ。
起きそうな感じって、どんな感じ。
言葉で表現したとたん、消えてなくなってしまいそう。
でも、こんな感じを伝えたくて、気持だけが焦ってしまう。
自分の中で何が起こっているのか。内なる宇宙を探索する。
それは可能性の糸を紡ぐことなのかも。
新しい何かが創り出されそうな瞬間。
遥かなる声が聴こえそうな瞬間。
今までにない不思議な感覚を感じそうな瞬間。
何かが自分の中で、起きそうな感じ。
起きそうな感じって、どんな感じ。
言葉で表現したとたん、消えてなくなってしまいそう。
でも、こんな感じを伝えたくて、気持だけが焦ってしまう。
自分の中で何が起こっているのか。内なる宇宙を探索する。
それは可能性の糸を紡ぐことなのかも。
2011年04月04日
「学生」再び!!
臨床心理士を目指して、今年度から心理臨床の大学院の学生になりました。
「学生」という響きは、何とも言えない響きがあります。20歳代前後/学部生の時は何も考えないで、というより学ぶことに疑問をもっていたのだと思います。殆ど学校に行っていない状態が続いていました。50歳代前後/反対に、南山の大学院「教育ファシリテーション専攻」では、学部の授業も含めて沢山単位を取りました。
どちらも卒業年数は通常より長くかかりましたが・・・。
仕事をしつつ大学院の授業を受け修士論文に取り組むことは2回目です。ワクワク感と共にドキドキ感もあります。先週の金曜日のオリエンテーションで、先生と院生の自己紹介があり、社会人ばかりだった南山の雰囲気とはやはり違う感じでした(まぁ、当り前ですが)。戸惑いと新鮮さが入り混じっている感じです。若さについていけるかなあ…と、こんな具合で「再び夜間の大学院生」になったのですが、やる気だけは充実しています。
「学生」という響きは、何とも言えない響きがあります。20歳代前後/学部生の時は何も考えないで、というより学ぶことに疑問をもっていたのだと思います。殆ど学校に行っていない状態が続いていました。50歳代前後/反対に、南山の大学院「教育ファシリテーション専攻」では、学部の授業も含めて沢山単位を取りました。
どちらも卒業年数は通常より長くかかりましたが・・・。
仕事をしつつ大学院の授業を受け修士論文に取り組むことは2回目です。ワクワク感と共にドキドキ感もあります。先週の金曜日のオリエンテーションで、先生と院生の自己紹介があり、社会人ばかりだった南山の雰囲気とはやはり違う感じでした(まぁ、当り前ですが)。戸惑いと新鮮さが入り混じっている感じです。若さについていけるかなあ…と、こんな具合で「再び夜間の大学院生」になったのですが、やる気だけは充実しています。
2011年03月04日
アナログな頭の中の録音テープ パート2
転職をした2つ目の会社の社長から言われた一言。「仕事は途中で止めるな。無理をしてもやりきれ。」結構、この言葉が残っています。この事は、やり始めたら区切りが付けられるところまでやることにより、達成感が得られることとその後は仕事のことを考えないで気持ちを切り換えることにつながるということだとは思いますが・・・。
当時は、そんな状態ではなかったことを覚えています。毎日残業を遅くまでして、仕事を家に持ちかえり1時近くまで取り組み、知らないうちに寝ている。朝は、朝礼(8時15分)に間に合う様に出勤。つまり、区切りが見当たらない状態で仕事中毒でした。とても辛かったですが、今から思うと良いこともありました。短期間で、総務・経理、仕入、営業、現場(倉庫、配送、梱包など)など、担当できたことです。このことが今の仕事にとても役立っています。
今は、「仕事は途中で止めるな」というテープが頭の中で回っても、続けるか続けないかは自分の状態と相談してから決めるようにしています。
もう、アクセルをベタ踏み状態で走る時期から、ゆっくりと時の流れを楽しむ年齢になりつつある自分がちょっぴり寂しくもある今日この頃です。
当時は、そんな状態ではなかったことを覚えています。毎日残業を遅くまでして、仕事を家に持ちかえり1時近くまで取り組み、知らないうちに寝ている。朝は、朝礼(8時15分)に間に合う様に出勤。つまり、区切りが見当たらない状態で仕事中毒でした。とても辛かったですが、今から思うと良いこともありました。短期間で、総務・経理、仕入、営業、現場(倉庫、配送、梱包など)など、担当できたことです。このことが今の仕事にとても役立っています。
今は、「仕事は途中で止めるな」というテープが頭の中で回っても、続けるか続けないかは自分の状態と相談してから決めるようにしています。
もう、アクセルをベタ踏み状態で走る時期から、ゆっくりと時の流れを楽しむ年齢になりつつある自分がちょっぴり寂しくもある今日この頃です。
2011年02月04日
エレベーターを待っている「ちょっとした時間」
みなさん、誰かの一言がずーと残っていることはありませんか。私の中で、数十年前に読んだ新聞のコラム欄が不思議なくらい残っているのです。
コラムの内容は、エレベーターが来るのを待っている時、ボタンを既に押してあるのに頻繁に押している人がいる。しかし、その行為でエレベーターがスピードを速めることはない。直ぐに来ない事にイライラしているようだ。ちょっとした時間も待てないでいる。毎日が忙し過ぎるのである。忙し過ぎると、心がなくなることにつながります。せめて、エレベーターが来るちょっとした時間を、自分のことをふりかえってはどうでしょうか。
エレベーターの前に立つと、この言葉が頭の中でテープが再生されるように流れる時があります。ああ、今は忙し過ぎるんだ。せめて待っているこの時間だけでも、ゆっくりしようと思ったりしています。
こういう頭の中でテープが再生されることについて意識するようになったきっかけは、当会のボスの「セルフサイエンス」という講座を受けてからです。講座の中で話された「頭の中でテープが再生されるように」という言葉が、妙に私の中に残り、意識化されるようになりました。セルフサイエンスの内容とは別に、私がそこで聞いたフレーズに影響されて、意識化するようになったのだと思います。
最近は、「録音テープが再生」というより「映像」「動画」として出てくる人が多いのだろうなと思いつつ、アナログが好きな自分を感じています。
コラムの内容は、エレベーターが来るのを待っている時、ボタンを既に押してあるのに頻繁に押している人がいる。しかし、その行為でエレベーターがスピードを速めることはない。直ぐに来ない事にイライラしているようだ。ちょっとした時間も待てないでいる。毎日が忙し過ぎるのである。忙し過ぎると、心がなくなることにつながります。せめて、エレベーターが来るちょっとした時間を、自分のことをふりかえってはどうでしょうか。
エレベーターの前に立つと、この言葉が頭の中でテープが再生されるように流れる時があります。ああ、今は忙し過ぎるんだ。せめて待っているこの時間だけでも、ゆっくりしようと思ったりしています。
こういう頭の中でテープが再生されることについて意識するようになったきっかけは、当会のボスの「セルフサイエンス」という講座を受けてからです。講座の中で話された「頭の中でテープが再生されるように」という言葉が、妙に私の中に残り、意識化されるようになりました。セルフサイエンスの内容とは別に、私がそこで聞いたフレーズに影響されて、意識化するようになったのだと思います。
最近は、「録音テープが再生」というより「映像」「動画」として出てくる人が多いのだろうなと思いつつ、アナログが好きな自分を感じています。
2011年01月05日
仕事始め
ここ数年、「仕事始めは?」と聞かれると、返答に困っていました。なぜかというと、年末年始は事務仕事などがとてもハカドル時間です。仕事納め・仕事始めという区切りがはっきりとない状態でした。
年末に腰を痛め、これは「ゆっくりと休みなさい」とメッセージだと思い、今回の年末年始は、仕事関係は何もしないと決意。で、今日(4日)まで来ました。さすがに明日から仕事が始まるので鈍った感覚を仕事モードに戻すため事務仕事を始めました。多分、今日が私にとって仕事始めなのでしょうね。(仕事が始まってしまった、もっとグータラしていたい、そんな感じですが・・・、ここでケジメをつけて)
今年の抱負は、「どんな年になる」というより「こんな年にしていきたい」という意識を持って、目標に向かってゆっくりと着実に、取り組んでいこうと思っています。はてさて、来年になったらどんな足跡になっているか楽しみです。
年末に腰を痛め、これは「ゆっくりと休みなさい」とメッセージだと思い、今回の年末年始は、仕事関係は何もしないと決意。で、今日(4日)まで来ました。さすがに明日から仕事が始まるので鈍った感覚を仕事モードに戻すため事務仕事を始めました。多分、今日が私にとって仕事始めなのでしょうね。(仕事が始まってしまった、もっとグータラしていたい、そんな感じですが・・・、ここでケジメをつけて)
今年の抱負は、「どんな年になる」というより「こんな年にしていきたい」という意識を持って、目標に向かってゆっくりと着実に、取り組んでいこうと思っています。はてさて、来年になったらどんな足跡になっているか楽しみです。
2010年02月05日
星とサンポ
最近、歯石を取るために歯医者に行っています。水曜日が3回目でした。
ついでにというか、右下の歯ぐきが腫れていたので、歯科衛生士さんにそのことを話すと先生を呼びにいってくれました。ありがたい。
安心感と同時に、何というか嫌な感じが脳裏を横切る。
先生が「これはねー」と言った瞬間、歯茎全体を激痛が駆け巡った。本当に痛いと声も出ない。瞬間、キラキラと星が舞っていた。数分間(多分数秒なんでしょうが)動が止まったような感覚。ジンワリと痛みに襲われる。歯の右半分が痛さで耐えられない。何とか発した言葉は「うがいします・・・」我ながら情けない。
12時30分、やっと歯の掃除が終わり、歯医者から脱出。
思考停止の中、地下鉄に乗る気にもならず、寒風吹きすさぶ中、地下鉄の駅で2つ分先にある事務所まで歩く。途中に昼食をし、事務所に着いた途端にエネルギー切れ。2時間は椅子でフリーズ状態。
19時のミーティングのため自宅に帰る必要があり、意を決して16時から移動開始。やはり地下鉄に乗る気なし。なぜだかいまだに不明。
昼間にめったに見られない「星」が見え、お腹の周りの脂肪減少のためにサンポはとても良かったと思っていますが・・・
近年、まれにみる身体的な激痛を堪能。
ちなみに、二日目の朝になりますが右頬が腫れています。
ついでにというか、右下の歯ぐきが腫れていたので、歯科衛生士さんにそのことを話すと先生を呼びにいってくれました。ありがたい。
安心感と同時に、何というか嫌な感じが脳裏を横切る。
先生が「これはねー」と言った瞬間、歯茎全体を激痛が駆け巡った。本当に痛いと声も出ない。瞬間、キラキラと星が舞っていた。数分間(多分数秒なんでしょうが)動が止まったような感覚。ジンワリと痛みに襲われる。歯の右半分が痛さで耐えられない。何とか発した言葉は「うがいします・・・」我ながら情けない。
12時30分、やっと歯の掃除が終わり、歯医者から脱出。
思考停止の中、地下鉄に乗る気にもならず、寒風吹きすさぶ中、地下鉄の駅で2つ分先にある事務所まで歩く。途中に昼食をし、事務所に着いた途端にエネルギー切れ。2時間は椅子でフリーズ状態。
19時のミーティングのため自宅に帰る必要があり、意を決して16時から移動開始。やはり地下鉄に乗る気なし。なぜだかいまだに不明。
昼間にめったに見られない「星」が見え、お腹の周りの脂肪減少のためにサンポはとても良かったと思っていますが・・・
近年、まれにみる身体的な激痛を堪能。
ちなみに、二日目の朝になりますが右頬が腫れています。