昨年の12月、千刈キャンプ場で開かれた10日間のエンカウンター・グループに参加してきましたが、このとき、セッションの中でメンバーに、ある一言を言われたことがとても印象に残っています。その一言とは、「やまだんは、やさしいドライヤーみたい」でした。
やさしいドライヤーと書くと、なんだか髪にやさしい、いいドライヤーのように誤解されるかもしれませんが、決してそういう意味ではありません。少し説明すると、会場になった関学の千刈キャンプ場のお風呂には、備え付けのドライヤーがありましたが、このドライヤー、吹き出る風が弱すぎてドライヤーとしてぜんぜん使い物にならない代物でした。ぼくは、このドライヤーにたとえられたわけです。
ドライヤーとして役立つためには、しっかりと強い風を吹かせないと意味がない。つまり、しっかりと相手の心に自分が言いたいことを届けたいのなら、あれこれ気を使って、言葉を、態度を緩めたりせずに、ブワーッと強い風のような、しっかりと髪を乾かせる風の強さをもった言葉と態度で伝えることが必要だと言われたわけです。言われたぼくは、そう受け取りました。
きついフィードバックを、穏やかな、緩めた言葉がけなどで表現するのは、ぼくの持ち味でもあると認識していましたが、伝える内容、伝える相手によっては、かえって邪魔になる気づかいになることに、気づかせてもらえたフィードバックでした。そして、そもそもこの気づかいは、何のためだったのか?
いいように言えば、伝えられる相手が受け取りやすいようにとも言えけど、その裏には、強すぎる言葉を使って自分が相手を傷つけてしまうことへの恐れ、自分が悪く思われないように、嫌われないようにするための、自分のための気づかいでもあったように思います。
ある人が、変わりたくても変われない自分の囚われに気づくきっかけになる出来事や言葉は、決してその人にとって受け入れやすい、受け取りやすいものではないでしょう。そして、その受け入れがたい、受け取りにくいものが、逃げようもなく、目を背けられないぐらいの強さを持って、その人につきつけれられ、感じられたときにだけ、その気づきのきっかけとなる行為や言葉が、人のこころの奥底に届くのだと思います。
その意味で、ぼくから発せられる言葉や行為は弱すぎて、嫌われるのを恐れたやさしすさのために、まるで役立たずのやさしいドライヤーだったわけです。ぼくにとってこの言葉は、これから、誰かが自分の深く大きな囚われに向き合おうとするとき、自分が強いドライヤーとして、真のやさしさをもって、その人と共にあることができるようになりたいと、心を新たにする再出発点となった気がします。しっかり役立つドライヤーとして、このことを伝えてくれたKさんに感謝です。
2013年02月04日
2012年12月04日
ろうガーン
(林さん、すぐにかぶせてごめんなさい)
岡田さんの先日のブログとかぶりますが、35才に、筋肉痛は翌々日になるようになり、40才に、気がつけば手の甲にシミができ
先日、気がつけば、ついに老眼になってしまってました
ぼくは乱視が強かったせいか
仕事柄、細かな数字を見ることが多いにもかかわらず
48才の今まで、老眼とは無縁だったので
自分は、老眼にならないんだと思いこみ
周りの同じ年頃の人たちが老眼になって行く中
自分が老眼でないことが、若さの印みたいに感じて、密かに自慢に感じてました
それが、先日、電車のポケット時刻表をみようとしたら、なんだかボヤけてよく見えません
顔を近づけても、やっぱりハッキリしません
時刻表から、ふと目を離したら、ピントがあいました
ん?どういうこと?
一瞬、何が起こったのか、わかりませんでしたが
次の瞬間、ガーンとショックを受けました
そうです、ぼくの若さの印がまたひとつ失われてしまったのだと気づ
きました
ぼくたち人間は、老いて死に向かっていく過程で
いままで、出来たことを、出来るようになったことを
ひとつひとつ奪われていきます
まだ、多くのことが出来ないままであるにもかかわらず
これからは、何かが出来る能力に価値を置いていては
ドンドン、自分の価値が下がっていかざるをえない年齢に入ったわけです
人間って、どうして何もできない赤ん坊で生まれてきて
成長するにしたがって、いろいろな頃が出来るようになっていき
なのに老いていくことで、また赤ん坊のように何も出来ない状態に戻っていくのか
この、ゼロからはじめまたゼロに戻る、人の人生にどんな意味があるのだろうか?
老いってなんなのだろう?って、思ってきました
そして、いまの時点では
きっと、人間は、老いを必ず経験することを通じて
何かが出来ることが、人の価値を決めるわけ
ではないということ
何も出来なくなっていく自分を受け入れるということを
嫌でも学ばなくてはならないように、神様から運命づけられたのだろうと
そのように自分なりに老いを位置づけてきました
そして、老眼になったという事実は、その運命により、いよいよ自分自身も価値観の転換をせまられる人生の時期に入ったことを
まさに、つきつけられる出来事になったわけです
人生という師は、不肖の弟子を、安全なCゾーンにいつまでもいさせてくれないようです
そうそう、林さんに、ツッコミをいれられる前に、これも書いておかないと
書き漏らしていましたが
老眼以前に、髪の毛は、もうとっくに衰退しておりますが、、、
岡田さんの先日のブログとかぶりますが、35才に、筋肉痛は翌々日になるようになり、40才に、気がつけば手の甲にシミができ
先日、気がつけば、ついに老眼になってしまってました
ぼくは乱視が強かったせいか
仕事柄、細かな数字を見ることが多いにもかかわらず
48才の今まで、老眼とは無縁だったので
自分は、老眼にならないんだと思いこみ
周りの同じ年頃の人たちが老眼になって行く中
自分が老眼でないことが、若さの印みたいに感じて、密かに自慢に感じてました
それが、先日、電車のポケット時刻表をみようとしたら、なんだかボヤけてよく見えません
顔を近づけても、やっぱりハッキリしません
時刻表から、ふと目を離したら、ピントがあいました
ん?どういうこと?
一瞬、何が起こったのか、わかりませんでしたが
次の瞬間、ガーンとショックを受けました
そうです、ぼくの若さの印がまたひとつ失われてしまったのだと気づ
きました
ぼくたち人間は、老いて死に向かっていく過程で
いままで、出来たことを、出来るようになったことを
ひとつひとつ奪われていきます
まだ、多くのことが出来ないままであるにもかかわらず
これからは、何かが出来る能力に価値を置いていては
ドンドン、自分の価値が下がっていかざるをえない年齢に入ったわけです
人間って、どうして何もできない赤ん坊で生まれてきて
成長するにしたがって、いろいろな頃が出来るようになっていき
なのに老いていくことで、また赤ん坊のように何も出来ない状態に戻っていくのか
この、ゼロからはじめまたゼロに戻る、人の人生にどんな意味があるのだろうか?
老いってなんなのだろう?って、思ってきました
そして、いまの時点では
きっと、人間は、老いを必ず経験することを通じて
何かが出来ることが、人の価値を決めるわけ
ではないということ
何も出来なくなっていく自分を受け入れるということを
嫌でも学ばなくてはならないように、神様から運命づけられたのだろうと
そのように自分なりに老いを位置づけてきました
そして、老眼になったという事実は、その運命により、いよいよ自分自身も価値観の転換をせまられる人生の時期に入ったことを
まさに、つきつけられる出来事になったわけです
人生という師は、不肖の弟子を、安全なCゾーンにいつまでもいさせてくれないようです
そうそう、林さんに、ツッコミをいれられる前に、これも書いておかないと
書き漏らしていましたが
老眼以前に、髪の毛は、もうとっくに衰退しておりますが、、、
2012年11月01日
監査の監査の監査がある世界
今回は、杉山さんではないすが、ほんと書こうってことがなくて困りました。
ということで、体験学習にも、ファシリテーションにもぜんぜん関係ないお話を1つ。
ということで、体験学習にも、ファシリテーションにもぜんぜん関係ないお話を1つ。
ぼくは公認会計士って仕事をなりわいにしてごはんを食べています。
公認会計士は主に会計監査っていう仕事をしているのですが、この仕事は簡単に言うと、大きな会社の決算書が正しく作成されているかを、中立な立場にある会計の専門家としてチェックする仕事です。
で、今みたいな不景気な時は、会社の業績もよくないから、倒産する会社が出てくるわけですが、倒産するような会社は、倒産間際で決算書をごまかしていることが多くて、倒産後の調査で、会社が決算書をごまかしていて、それを会計監査は発見できなかったというようなことが発覚することがあります。
そして、世の中の人としては、監査しているのに、なぜ発見できないのかと、ぼくたち会計士は社会的に追求されることにな
るわけです。
公認会計士は主に会計監査っていう仕事をしているのですが、この仕事は簡単に言うと、大きな会社の決算書が正しく作成されているかを、中立な立場にある会計の専門家としてチェックする仕事です。
で、今みたいな不景気な時は、会社の業績もよくないから、倒産する会社が出てくるわけですが、倒産するような会社は、倒産間際で決算書をごまかしていることが多くて、倒産後の調査で、会社が決算書をごまかしていて、それを会計監査は発見できなかったというようなことが発覚することがあります。
そして、世の中の人としては、監査しているのに、なぜ発見できないのかと、ぼくたち会計士は社会的に追求されることにな
るわけです。
そんなことが続きますと、公認会計士による会計監査制度自体の社会的な信用をなくすることになりますから、公認会計士の団体である日本公認会計士協会は、それぞれ会計士がちゃんとしっかり監査しているかチェックをするのです。つまり、監査の監査をします。
さらに、会計士を取り締まる立場にある金融庁は、個々の会計士がちゃんと監査しているかどうかと、日本公認会計士協会が会計士の監査をちゃんと監査しているかどうかをチェックします。つまり、監査の監査の監査をします。
監査だけでも、「はー」なのに、監査の監査があり、監査の監査の監査があるという話を、監査とは縁のない方や大学の授業で学生に話しますと、いちように、「は〜っ」とため息ともあきているともとれる感
嘆の声があがります。そして、絶対にそんな仕事したくない、できないわとなります。
さらに、会計士を取り締まる立場にある金融庁は、個々の会計士がちゃんと監査しているかどうかと、日本公認会計士協会が会計士の監査をちゃんと監査しているかどうかをチェックします。つまり、監査の監査の監査をします。
監査だけでも、「はー」なのに、監査の監査があり、監査の監査の監査があるという話を、監査とは縁のない方や大学の授業で学生に話しますと、いちように、「は〜っ」とため息ともあきているともとれる感
嘆の声があがります。そして、絶対にそんな仕事したくない、できないわとなります。
世の中、こんなふうに、何か問題が起こると、すぐ監査しましょうとなりますが、監査をはじめると、結局、監査の監査が必要だとなり、果ては、監査の監査の監査も必要だと進んでいきます。制度のための制度の上塗りがされ、そもそも、こんなこと意味があるのかとはならず、制度存続が目的化していく不毛を生みます。。。。
さて、長い前置きになりましたが、先ごろ、わたくしめ、この監査の監査を受けるはめになりまして、大変な時間を使ってその準備(工作?)をしまして、なんとか無事、事なきを得ました。
以前、仲間と一緒につくっていた監査事務所を、この監査の監査で、実質、お取りつぶしにあった経験もあるので、今回は、大過なく終わって、ほんとうにホッとしています、いま。
以前、仲間と一緒につくっていた監査事務所を、この監査の監査で、実質、お取りつぶしにあった経験もあるので、今回は、大過なく終わって、ほんとうにホッとしています、いま。
と、いうたわいもない話しです。
今回はこんな話でご勘弁ください。おわり。
今回はこんな話でご勘弁ください。おわり。
2012年10月03日
同感と共感
今日は、共感と同感の違いについて書いてみたいと思う。
ちょっと、前に、ある人に自分の苦しい感じをメールで吐露したときに、その人が、「うん、そういう感じわかるよ、私も昔そういう経験したことがあるから」とメールを返してくれた。
それを読んで、その人が、ぼくの感覚をその人なりにわかろうとしてくれたのは、よくわかったんだけど、どっかすっきりしないって感覚が残って、でも、それをその人には言えなかったってことがあった。そのすっきりしないっていうのは、なんか、どっか、本当にわかってくれたのかなっていうか、その気持ちを受けとめてもらえたような感じがしないという感覚だった。
いま思うと、その人がぼくに返してくれたのは、同感だったんだと思った。
同感は、ある人の感覚に対して、私も同じだよ、私も同じ感覚持ったことあるからわかるよってことなんだろうけど、同感を示す、伝えることによって、最初に出した人の感覚が、同感した人の感覚によって上塗りされて、なくなってしまうというか、薄くなってしまうことがある。
そもそも、本当に同じなのか?ひょっとしたら、同じだと思い込んだだけなのかもしれないし、もし、出された感覚と同じだって示された同感の感覚が、違っていると、最初に出された感覚が、同感によって、すり替えられてしまうような可能性すらある。
きつい表現をするならば、同感することによって、最初に感覚を出した人の存在を、かえって消し去ってしまう 、弱めてしまうことが起こるのではないか。
対して共感はどうか。
共感は、相手の感覚は自分とは違っているけども、自分にはわかっていないかもしれないけど、その人の感覚を安易に自分にはわかる、わかったとせずに、どこまでもわかろうと、ピタリと相手に寄り添って、決して上から重なって相手を自分と同化させて消してしまうことなく、相手は相手、自分は自分とした上で、相手に関心を示し、相手と共に感じようとする姿勢であって、相手の存在を弱めたり消したりするものではないかなって感じている。
今まで、共感と同感は、ぼくのなかでどう違うのか、正直、腑におちていなかったのだけど、二つは、同じようなもので、たいして違わないものとすら思っていたが、今日、はっきりと、共感と同感の違いは、とっても大きいということと、今まで自分が共感だと思ってしていたことが、実は同感だったってことに気がついた。
ちょっと、前に、ある人に自分の苦しい感じをメールで吐露したときに、その人が、「うん、そういう感じわかるよ、私も昔そういう経験したことがあるから」とメールを返してくれた。
それを読んで、その人が、ぼくの感覚をその人なりにわかろうとしてくれたのは、よくわかったんだけど、どっかすっきりしないって感覚が残って、でも、それをその人には言えなかったってことがあった。そのすっきりしないっていうのは、なんか、どっか、本当にわかってくれたのかなっていうか、その気持ちを受けとめてもらえたような感じがしないという感覚だった。
いま思うと、その人がぼくに返してくれたのは、同感だったんだと思った。
同感は、ある人の感覚に対して、私も同じだよ、私も同じ感覚持ったことあるからわかるよってことなんだろうけど、同感を示す、伝えることによって、最初に出した人の感覚が、同感した人の感覚によって上塗りされて、なくなってしまうというか、薄くなってしまうことがある。
そもそも、本当に同じなのか?ひょっとしたら、同じだと思い込んだだけなのかもしれないし、もし、出された感覚と同じだって示された同感の感覚が、違っていると、最初に出された感覚が、同感によって、すり替えられてしまうような可能性すらある。
きつい表現をするならば、同感することによって、最初に感覚を出した人の存在を、かえって消し去ってしまう 、弱めてしまうことが起こるのではないか。
対して共感はどうか。
共感は、相手の感覚は自分とは違っているけども、自分にはわかっていないかもしれないけど、その人の感覚を安易に自分にはわかる、わかったとせずに、どこまでもわかろうと、ピタリと相手に寄り添って、決して上から重なって相手を自分と同化させて消してしまうことなく、相手は相手、自分は自分とした上で、相手に関心を示し、相手と共に感じようとする姿勢であって、相手の存在を弱めたり消したりするものではないかなって感じている。
今まで、共感と同感は、ぼくのなかでどう違うのか、正直、腑におちていなかったのだけど、二つは、同じようなもので、たいして違わないものとすら思っていたが、今日、はっきりと、共感と同感の違いは、とっても大きいということと、今まで自分が共感だと思ってしていたことが、実は同感だったってことに気がついた。
2012年08月29日
オナラと自意識
最近、自意識という、過剰になるとやっかいなものについて考えています
オナラの話で例えると
エレベーターで、ブーッと大きな音だけど、無臭なオナラをするのと
スーっと音はしないけど、めちゃ臭いオナラの違いのような
前者は、オナラをしたのが自分と周りの人にはわかってしまうけど、無臭なので周りの人にはとくに迷惑をかけない
後者は、音はしていないので自分がしたとはわからないけど、めちゃ臭いので周りの人には迷惑をかけるし、このオナラをした犯人されがしがはじまってしまう
オナラをしたのが誰かわからなければ自意識的にはOKだから、自意識的には後者が望ましい
だけど、周りの人に与える影響から考えれば、後者よりも、だんぜん前者が望ましいわけで
自分がオナラをしたと周りの人に知られるより、周りの人に臭い思いをさせても、自分がオナラをしたことを知られないで済むほうがよいと考える
そんな風に、自意識って奴は、人への影響関係で考えると、非常に困った、迷惑なものだなと
よく、めちゃ臭いすかしっ屁をして嫁さんに怒られる、自意識過剰な僕は、そんなことを考えて悩んでいるのでした
もちろん、オナラが出る前に、このオナラは大きな音で出るか、匂いは臭いか、出す本人にもはっきりとは、わからないのであり、実際には、自分ではコントロール不能なのですが・・・・
オナラの話で例えると
エレベーターで、ブーッと大きな音だけど、無臭なオナラをするのと
スーっと音はしないけど、めちゃ臭いオナラの違いのような
前者は、オナラをしたのが自分と周りの人にはわかってしまうけど、無臭なので周りの人にはとくに迷惑をかけない
後者は、音はしていないので自分がしたとはわからないけど、めちゃ臭いので周りの人には迷惑をかけるし、このオナラをした犯人されがしがはじまってしまう
オナラをしたのが誰かわからなければ自意識的にはOKだから、自意識的には後者が望ましい
だけど、周りの人に与える影響から考えれば、後者よりも、だんぜん前者が望ましいわけで
自分がオナラをしたと周りの人に知られるより、周りの人に臭い思いをさせても、自分がオナラをしたことを知られないで済むほうがよいと考える
そんな風に、自意識って奴は、人への影響関係で考えると、非常に困った、迷惑なものだなと
よく、めちゃ臭いすかしっ屁をして嫁さんに怒られる、自意識過剰な僕は、そんなことを考えて悩んでいるのでした
もちろん、オナラが出る前に、このオナラは大きな音で出るか、匂いは臭いか、出す本人にもはっきりとは、わからないのであり、実際には、自分ではコントロール不能なのですが・・・・
2012年07月25日
カンタ!ティモール
先日、奈良で監督さんをゲストに迎えての映画の上映会をやりました。
上映した映画は「カンタ!ティモール」という映画で、監督は我が母校である南山大学の卒業生、広田奈津子さん(とても素敵な方でした)で、ちょうど今年で独立10周年を迎える東ティモールの人々を描いた映画です。
東ティモールの人たちにとって、この独立戦争は、人口の三分の一を殺され、誰もが家族や友人や隣人を失うという悲惨な体験をした戦争でしたが、東ティモールの人たちは、殺されても殺さずという意識も持ち、誰もが無理だと思ったインドネシアからの独立を、24年の独立戦争の末、独立を手にしました。
映画は、独立戦争の中、悲惨で、理不尽な体験をしながらも、インドネシアの人たちを恨んだり、憎んだりするのではなく「ゆるす」という、東ティモールの人々の姿を中心に描かれていました。
この映画を観て印象に残ったことはたくさんあるのですが、ぼくが体験学習やグループのファシリテーションをしている動機ともつながるお話をここで1つだけ紹介してみたいと思います。
言葉、言語は、その言語を生んだ世界観を色濃く反映するものであると思います。
欧米人は、私」というものを意識する言語体系を持ち、反対に、日本人は「私」を明確にしない主語が曖昧な言語体系を持ちますが、これなどは、欧米人と日本人の世界観の違いを言語が表していることの一例のように思います。
そして、東ティモールの人たちの言語には、「敵」という言葉、概念がないのです。
あえて、「敵」に近い言葉を探すとすると、「いまは、別の方を見ている人」という言葉になるそうです。
映画で、このエピソードが紹介されている場面を観たとき、東ティモールの人たちは、なんて柔らかな、平和な世界観をもった人たちなのだろうと、こころをうたれました。逆に、ぼくたちは、日頃、「ただ、いまは別の見方をしているだけの人」を敵とみなし、憎み、恨み、戦っていないだろうかという思いが浮かびました。
ぼくも、東ティモールの人たちのように、自分の信念や価値観と違うものを持つ人たち、反対のものを持つ人たちを、敵ではなく、「今は別の方を見ている人」というゆるみをもって見れるといいなのだけどなと思いました。いまの自分にはとても難しいことだども、いつかそうできればと。。。。。
映画には、他にもたくさんの平和や、ゆるしについてのお話が描かれています。
まだご覧になっていない方は、是非一度「カンタ!ティモール」、ご覧になってみてください。
2012年06月27日
白いパンツの赤いシミ
白いパンツをかっこいいと思ってはいている自分
ふと見ると、その白いパンツに大きな赤いシミがあることに気づく
気づくまでは、どうだ俺の白パンツはかっこいいだろうと颯爽と歩いていたが、
その赤いシミに気づいてしまった瞬間から、なんてかっこ悪いと、急に恥ずかしくなる
道行く人は、誰もそんなこと気にもとめていないのに
向こうから歩いてくる人が、ちょっと目線を下げたように感じただけで
白いパンツの赤いシミを見られたように思ってしまう
仕方なしに、赤いシミの部分を隠しながら、ぎこちない歩き方で足早にそそくさと歩く
本当は、シミがあるからどうした、汚れも味だと受け入れてしまえば
そうできさえすれば
シミがない白いパンツをはいていたときの自分のまま、颯爽と道を歩いていけるのに
実は、白いパンツの赤いシミは、人がつかんだ価値観、信念とそれを生きられない自分の現実と同じかもしれない
自分がこれだと確信して、ある価値観や信念をつかむと、それをつかんだ自分が他人により偉くなったように思いこむ
でも、その一方で、つかんだ価値観どおりに生きられない自分の姿を目の当たりにする
こうでないと、などという価値観や信念を持ってしまうから、かえって生き生きと生きられなくなる
そんなもの待ってしまうから、罪悪感だ、欠落感だ、恥だ、なんて持たなくていいものに振り回されて生きることになる
そんなものを捨てて、手放して、すべて、ああそうかと受け入れていけば、楽に、生き生きと、生きられるのに
2012年05月25日
ことばを、声として、音としてきく
先日、Tグループのトレーナートレーニングのグループの中で、きくことの練習って思って二つのことをしてみた
一つは、聴くことに集中するためにあえて、目をつむって、声だけ、話だけ聴くこと
もう一つは、声には出さず、心の中だけで、レスポンス、相手の言ったことばをそのまま繰り返すことをしてみた
心の中で、レスポンスしてると、けっこう忙しくて、聴いたことについて考えたりしにくから、かえって聴くことに集中できたかもしれない
また、目をつむって、視覚からの情報を入れないと、話が、より鮮明に、声として、音として、耳に響いた感じがした
そうやって、聴いてたら、目を開けても、耳がその聴き方をしているときの声の響きを拾っているように感じた
おもしろかった、とっても、新鮮だった
声は、後頭部によくひびいた、そして、そのとき、ぼくは耳や頭だけでなく、全身の毛穴でも聴いてたかもしれない、繊毛で
肌が声による空気の振動を感じて、共振して、毛穴から生えている体毛がなびいた(気がした)
毛穴できくは、気穴で聴くでもあるかもしれない、言葉以外のものを気としてキャッチするような感じで
音って、空気の振動だから、体で聴ける
和太鼓をきいてると、音は振動、バイブレーションってことを感じやすいけど、和太鼓とちがって、人の声を振動として感じようとすると、結構、微細な感覚がいるから、「いまここ」の音にしっかり体をしたしておかないと、音に体が開かれてない
とむずかしい気がする
音は、振動は、余韻はがあるのだけど、すぐに消えてしまうものだから、しっかり、「いまここ」に意識がいないとキャッチできない
だから、自然と、「いまここ」に自分がいるのか、いないのか、わかる気ような気がした
一つは、聴くことに集中するためにあえて、目をつむって、声だけ、話だけ聴くこと
もう一つは、声には出さず、心の中だけで、レスポンス、相手の言ったことばをそのまま繰り返すことをしてみた
心の中で、レスポンスしてると、けっこう忙しくて、聴いたことについて考えたりしにくから、かえって聴くことに集中できたかもしれない
また、目をつむって、視覚からの情報を入れないと、話が、より鮮明に、声として、音として、耳に響いた感じがした
そうやって、聴いてたら、目を開けても、耳がその聴き方をしているときの声の響きを拾っているように感じた
おもしろかった、とっても、新鮮だった
声は、後頭部によくひびいた、そして、そのとき、ぼくは耳や頭だけでなく、全身の毛穴でも聴いてたかもしれない、繊毛で
肌が声による空気の振動を感じて、共振して、毛穴から生えている体毛がなびいた(気がした)
毛穴できくは、気穴で聴くでもあるかもしれない、言葉以外のものを気としてキャッチするような感じで
音って、空気の振動だから、体で聴ける
和太鼓をきいてると、音は振動、バイブレーションってことを感じやすいけど、和太鼓とちがって、人の声を振動として感じようとすると、結構、微細な感覚がいるから、「いまここ」の音にしっかり体をしたしておかないと、音に体が開かれてない
とむずかしい気がする
音は、振動は、余韻はがあるのだけど、すぐに消えてしまうものだから、しっかり、「いまここ」に意識がいないとキャッチできない
だから、自然と、「いまここ」に自分がいるのか、いないのか、わかる気ような気がした
2012年04月26日
障がい者を支援するという仕事
障がいを持つ方の支援の難しさと、障がいを持つ人自身とその家族といった当事者の方々の大変さは理解しつつ、ここでは、違った面から障がいのある人を支援するという仕事について、そういう仕事をしていないからこその軽々しさから、思い切って書いてみたい。
うちの嫁さんは、障害者の福祉施設で働いている。その施設は、知的障がい者の方、身体障害者の方、精神障がい者の方、ある意味すべての種類の障がいを持った人が利用している。全ての種類の障がい者を支援している施設は珍しいそうだ。
あるとき、知りあった女性が、たまたま勤めているのが知的障がい者の施設で、いま、そこを辞めようかどうしようか悩んでいるとのこと。
でも、いまの仕事は好きだという。理由は、知的障がい者の支援者として働くことは、面白い、そして、気づかされると言う。
そこで、嫁さんに乱暴ながら無理やりきいてみた。3つの障害のうち、嫁さんにとってどの障がい者の支援が一番よいか?好きか?と。
すぐに答えが返ってきた。知的障がいの人がいいと。
なぜ?ときくと、面白い、気づかされる、とのこと。件の女性と同じだ。
そこで、さらに詳しく、その面白さと、気づかされるということの内容を、きいてみた。
面白さは、予想もしなかった反応がかえってくる驚きであり、また、思ってもいなかったことが、実は出来るということを発見する面白さらしい。つまり、かかわることの面白さとでも言えばいいのか。
そして、気づかされるといのは、知的障がいのある人は、自分の感情を素直に表現する。その表現は言葉がままならないために「ギャー」であったりするが。
嫌なものは嫌、好きなものは好きで、自分の感情の取り扱いがはっきりしていて、それをシンプルに表現してくるらしい。
ふりかえって、自分の普段のありようも見てみると、意外と、嫌なものを我慢していたりする。周りのことを考えて、はたまた、常識にしばられて。
仕事を通じて一緒にいると、そんな障がい者の方のありようと、自分のありようが自然と比較されて、自分の不自然な、自分の気持ちに正直でない、ありようが見えてきて、気づかされるらしい。
くしくも、障がい者支援の仕事にたずさわる2人の人間が、その仕事の大変さ、難しさという面でなく、面白さと気づきという別の面について、その感じていることが一致したことが、とても印象に残った出来事だった。
(障がいのある方に関係されている当事者の方の中には、上の「面白い」という表現に抵抗を感じる方もいるかもしれないことを承知の上でここに書かせてもらいました。なお、ここに書いた文章は、ぼくの関心で上に登場する2人の話を切り抜いたものであり、文責はすべてぼくにありますことを、念のために申し添えておきます。)
2012年03月26日
2つのTグループ
3月に2つのTグループに参加者として参加してきた。
ひとつは、6日間の。
そして1日あけて4日間のに。
物好きだねと言う人もいるかもしれないけど、ほぼ10日間のTグループを体験してみたかったから。
どんな体験になるか、どんな自分になるのかって。
なにより、好きだから。Tグループが、そしてTグループの中の自分が。
で、帰ってきてみて、いま感じること。
外見上は変わってない。あたりまえだけど。
中身もさして変わったようには見えないだろう。
でも、自分の中では、2つ目のTグループに参加したときに
あっステージが変わったって
感じがあった。
うまく言えないけども
「自分」というモードを卒業して、「他との影響関係」というモードに入ったような。
すこし自分の世界が広がった感じかな。
まだ、幼稚園生が小学校1年生になったようなものだから、微妙な違いかもしれない。
それでも、幼稚園と小学校は明らかに違う。だろう。
そして、次は6年生まである。
先は長いか、一瞬か。
2つのTグループでの気づきをステップにすすんでいこう。
やま
2012年02月27日
さっきあったこと
東京に向かう新幹線の中で、ふいに思いがわいた
ノートに、人が一言発することのかけがえのなさ、について書き綴った
東京駅で中央線に乗り換えるため、ホームの出発のアナウンスに急かされ、いっぱいの荷物と一緒に電車に飛びのった
目の前の3人掛けの席にすわる
ふっと、ここ優先席かな?と頭をよぎった
すると、ひとつ向こうの席に座る男性が何やらこちらに向かって言っている
ん、僕っ?
とっさに、やはりこの席は優先席だったかと慌てたが
そうではないようだ
少し落ち着いて聞くと、何やらカップがあると言っている
なにカップって?
あたふたと何かを探す
やっと、自分のお尻の後ろに、ストローのささった紙カップが置かれていることに気づいた
あぁ、これを伝えたかったのか
やっと意味がわかって、その男性に軽くお礼を言った
時間にして数秒のやりとり
たったそれだけのことだけど、さっきまでの自分が、人が一言を発することのかけがえのなさ、を書いていたせいだろうか
この男性は、どんな思いで、見ず知らずの僕に「カップが・・・」と声を発してくれたのだろうか
そう思うと、なんだか胸がジンとしてきた
「有り難い」ってこういうことを言うのだな
2012年01月26日
最後の授業での失敗
先週の金曜日、秋学期の授業の最終回があった。僕の担当する授業の1つであるリスクマネジメントの授業では、ここ5回ほど連続して取り組んだグループワークの発表を行った。
5回も同じグループでワークしてきた以上、最後はちゃんと発表をしてワークを締め切りたいという学生の気持ちが伝わったので、悩んだけど発表をすることをその日の朝に決めていた。ここで講師としてなんとしても避けたいことは、時間切れで発表できないグループが出ることだった。そうならないためには、僕がかなりきっちり発表内容を決めて、しっかり時間管理していく必要があると、当然のように思った。そのためにも最初のグループが肝心と思った。
最初に発表をしてくれたグループは、意欲的に活発にグループワークをしていたグループだった。この発表は、他のグループよりも先行してワークしていたこともあり、余裕があったのか、僕が発表はこれだけでいいという内容以外のことも入れて発表した。そのため時間を30秒オーバーしてしまった。だから、この流れが以降のグループで続くかないように、発表が終わったときに少しイラつく気持ちを抑えて、「時間超過30秒」と短く伝えた。
3分も発表時間を使わずに発表したグループもけっこうあったので、結局は15分ほど時間を余して、全てのグループが発表を終えることができた。
授業が終わって提出してもらった毎回の授業感想を帰宅途中の電車の中で読んだ。その中に、非常に辛らつに授業を否定している内容の感想が3枚あった。どの感想も記入した学生は最初に発表したグループの学生だった。
自分では自覚がなかったが、自分が思っていた以上に時間管理にピリピリしていて、言葉が強くなってしまっていたようで、最初に発表したグループの学生が、せっかくがんばってグループワークした結果をうまく発表して締めくくりたいと思ってた思いを、講師の僕にペシャンコにされたと感じたようであった。
この感想を最初に読んだときは、あまりに強く授業のことを否定的に書かれていることに腹が立った。でも、冷静になって考えると、学生がここまで強く否定的な内容で感想を書いてくるということは、その前に相当強く自分が学生たちを否定したであろうことが想像された(僕にそのつもりがなくても、学生にはそう感じられたこと)。いまさらながら、講師・教師の振る舞いの授業及び学生に対する影響力の強さを思い知った。
僕は、発表できずに嫌な思いをするグループが出ないようにすることに意識が行き過ぎてピリピリしたあまり、最初の発表で緊張感も強く、かつ熱心に授業に取り組んでくれたいたグループの学生たちに嫌な思いをさせてしまったのだ。
そのことに気がつくと、学生に授業を否定されたという嫌な思いから、そんなことに気がつかずに授業をしていた自分にがっかりし、また本当に学生に申し訳ない気持ちが変わった。これでは、とても学生が主役の授業などと言えない。
やはり、最後の授業は大事だなと思った。Tグループをやっていても、最後のセッションが大事なように。
これからは、最後の授業は時間の余裕を持つことで、学生も講師の僕も気持ちのゆとりを持てるように、もっともっと意識を持って授業作りをしていかなとと思った。今回のようなことを再び起こさないように。
(またまた長文、お許し下さい)
2011年12月28日
あるエンカウンターグループ体験記(2)
セッションでは、次第に「お客様」からも「よそいき」の自分からも脱け出し、自分がどんなふうにしても気にする人もなし、もし気になればなったと言ってくれるんだな、とわかって安心してその中に没入していったように思います。(中略)ここにいる一人の人間が、こういう姿で、表情で、こう考えて、こう言って、そして、このように悲しんだり笑ったり、怒ったり喜んだりするんだ、という純粋な次元から出発して、後からその人の通ってきた道や普段の生活などの外側がついていく、という人の見方ができるようなセッションは新鮮で、私自身はとてもハッピーでした。
ですから、そこでその時、(中略)共にそこにいるその人として考え、その人の話す言葉の奥にある心をおもんばかり、それに対する自分の反応を十分に見、その上、その場にいる人々全員に思いを馳せてから、言いたいことがあれば言い、そうでなければ黙って、また次の人が言うことに耳を傾ける、という初めての試みの繰り返しでセッションを過ごしていこうとしていました。それによって、現在話されることばの奥の心を聴く、という体験をしましたし、しかも、それにはその人の自分史とでもいうものがわかれば、なおさら深みが増すことも実感しました。
多分、普段の生活では、人の話をよく聞いているつもりでも、実際にはその場のその人の話を聞き、気持ちを聴くよりも、自分が何と返答しようか、という方にだけ気持ちが流れていたので、焦りにも似た状態での会が多かった、と思うのです。そんな上すべりする会話の響きの浅さ。それに、心の奥まで思考を深め入れてから口に出す言葉の深い響き。からだの芯から出て来る言葉は、聞く側にそれを受けとめる心があれば、こちらのからだの芯へ響き共鳴する。それは、声の大きさとは別ものだ、いうことにも気づきました。
それから、沈黙の様々な種類も、実感として体験したことでした。グループの初めで、うまく心が伝わらない気まずさの沈黙から、次の展開への間としての沈黙、その場で話された言葉を熟考するため、また、その言葉の背景やその場の人々の心を考える時間としての沈黙、そして、ある人言った言葉にぐっと感じ入って余韻を味わうために沈黙、そして、最後のセッションでは、それまでのことに思いを馳せ、残り少ない貴重な時間を噛みしめる沈黙で、これにはグループの人々との共有感が強くあったように思います。
沈黙がその人を強く語ることもあることを体験し、沈黙が持つ意味の多様さと深さに畏れさえ感じてしまいます。
人が心を表現する時には、言葉、声の大きさ、間、明るさ、語調の強弱等だけでなく、姿勢や視線や表情、緊張度、真剣さ、そして、沈黙、それらのすべてが語りかけているのだ、ということを感じたことは、聞くことへの新たな発見でした。(中略)ひたすら相手の心に耳を傾けることによって、自分の思い入れを沈めてゆっくり聞き、そして、心が見えてくる、という聞き方があると知ったことは、とても尊いことと思えるのです。
(中略)今思うと、一人の人間としての自分をかなり見ることができた気がします。私は、あの数日間で自分の中にあるすべて出して生きようとしていたようです。そして、自分にあるものを出せばいい、無理に抑えて苦しまなくてもいいし、逆に、ないものを無理にだそうとしてくてもいい、ということを、人々と出会いながら経験的に知った場だったのかも知れない、と思います。そして、青い鳥を探し回って虚しい時を費やすのではなくて、自分の中に与えられているものを信じて、大切にして、活かして生きたい、と今思っています。
(中略)
そんな意味で、この六日間は、私にとって何らかの「出発」となるもののようです。出発となる根源は、「出会い」でありました。出会いという発見であり、体験でした。それは、「人というもの」との(自分を含めて)出会いということです。そして、恐らくそれが核心だと思えるのです。
(中略)たまたま同じグループになった方々に、そこで共に、その場その時を今として生きて下さったことに深く感謝したいと思います。心をこめて・・・・・。
おわり
2011年11月25日
あるエンカウンターグループ体験記(1)
先日たまたま読んでいたエンカウンター・グループの本に、あるエンカウンター・グループ体験者の感想が紹介されていた。
ちなみに、ラボラトリー方式の体験学習の原点でもあるTグループに関する書物は少なく、反面、同じ集中的な非構成的グループ体験でもあるエンカウンター・グループに関する書物は比較的たくさんある。
僕自身はTグループ、エンカウンター・グループどちらの参加経験もあり、かつ、どちらも大変深い体験をさせてもらっている。
この両者の共通点は、どちらも非構成(予め課題やテーマがなく構成度が非常に低い)である点であり、それが故に、参加していない人への説明が難しい点である。
実は、その感想が、僕自身のTグループ及びエンカウンター・グループでの体験を的確に表現していて、とても驚いたのである。
また、もう1つ驚いたのは、その感想を書かれた方が、たった一回のエンカウンター・グループの体験からそれを書いたことである。
その方のグループでの体験の深さと、その方の体験を文字にして表現する能力の高さに感心し、その方に会ってみたくなった。
今回はこのブログで、この感想を紹介したいと思っている。
だけど、この感想はけっこう長い。そこで、2回ぐらいに分けて紹介しようと思う。
一応、念のために書いておくと。すべての参加者がこの感想のような体験をするという意味ではなく、あくまで僕自身がこの両グループに参加して感じたものをかなり代弁してくれているということと、Tグループに関心がある方に対して、何らかの情報になればという意図である。
出典は、 増田 實 「エンカウンター・グループから学ぶー新しい人間関係の探求」 九州大学出版会 1991年(P39〜P55) である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私にとって今回の清里が、全く初めてのエンカウンター・グループへの参加でした。少し本で読んではいたものの、この五泊六日の合宿の何があるのか、どんな人が集まるのか、何が起こるのか、自分はそこで何をするのか、自分で何を得ようしているのか、そのようなことも具体的なイメージが湧かず、ただ不安と緊張感と、それの加えて、まあなるようになるだろうという気持ちも参加前にはあったように記憶しています。
受付のあとの最初の全体会の進行は、ただひたすら状況を見守るだけでした。どう流れても自分は大丈夫だという感じもありました。(中略)
スモール・グループにいける最初のセッションは、「ここでは何をするのだろうか」という疑問に尽きました。(中略)「自己紹介でもするのですか?」という私の問いにも、してもいいし、別に決まっていない、という答え。(中略)自己紹介の名乗りが二人程度の人からあげられる。私自身は、自己紹介をしなかった。(中略)それが私自身をよく表すとは到底思われなかったから。そして沈黙。居心地の悪い沈黙。知らない人たちの中にいる、という極度の緊張感。普段の生活でなら間をもたせるだけの会話をして、それがとぎれれば挨拶をして別れてそれぞれの方向に歩み去るであろう。しかし、ここでは歩み去ることはできない。間をもたせるとしても、六日間、十二回のセッション全部を、そんな表面上の話で過ごすことは不可能と思えた。とにかくここでは、ひたすら十二名が集まって沈黙がある。私のじたばたは、今何をすればいいんだろうか。私の果たせる役割があるんだろうか。あるとすれば、それは何だろうか。周りのこうして黙っている人たちは、どういう人々で何を考えているんだろうか、という焦りからだった。
誰かが会話のボールを投げる。誰かが受け止めて、また投げようとする。でも、相手のことについては、そこにいる姿とその時に発した言葉とでしかわかっていないために、受けとめそこねて相手の機嫌を損ねてしまう時もある。表面上は「別に何でもありませんよ」と言いながら、心の奥の損ねた機嫌は、人に見せずにしまいこんでしまう。本音とたてまえ。それが使い分けられるのが大人、とされる社会がそこに顔をのぞかせている。私はそこにいながら、自分の出番と役割を黙って探しあぐねていろいろ考えて、でもそれではダメだ、などと思ってじたばたしているうちに冷や汗が出て、緊張の余り気分が悪くなっていったのを覚えています。
やがて二時間が経過し、第一回のセッションが終了して廊下に出ると、グループのメンバーの一人が、自分も初めての参加で居心地が悪かったけれど、何かしゃべりたければしゃべるし、しゃべりたくなければしゃべらない、という気持ちでいようと思っている、と話しかけてくれました。その言葉ですっかりふっ切れて、じたばたしていた自分と、じたばたの原因―「何かをしなければならない」という私の中に無意識に入りこんでいた指令―に気づきました。
「〜したい」ではなくて、「〜しなければ」という気持ちで生きてきたそれまでの自分から抜け出そうと、少し前からし始めていたのに。(中略)次のセッションからは、なるようになると自分をその場に預けて、状況にまかせて、くつろいだ姿勢をしたり目を閉じたりもできるようになって、おちついて参加していました。(中略)
ちなみに、ラボラトリー方式の体験学習の原点でもあるTグループに関する書物は少なく、反面、同じ集中的な非構成的グループ体験でもあるエンカウンター・グループに関する書物は比較的たくさんある。
僕自身はTグループ、エンカウンター・グループどちらの参加経験もあり、かつ、どちらも大変深い体験をさせてもらっている。
この両者の共通点は、どちらも非構成(予め課題やテーマがなく構成度が非常に低い)である点であり、それが故に、参加していない人への説明が難しい点である。
実は、その感想が、僕自身のTグループ及びエンカウンター・グループでの体験を的確に表現していて、とても驚いたのである。
また、もう1つ驚いたのは、その感想を書かれた方が、たった一回のエンカウンター・グループの体験からそれを書いたことである。
その方のグループでの体験の深さと、その方の体験を文字にして表現する能力の高さに感心し、その方に会ってみたくなった。
今回はこのブログで、この感想を紹介したいと思っている。
だけど、この感想はけっこう長い。そこで、2回ぐらいに分けて紹介しようと思う。
一応、念のために書いておくと。すべての参加者がこの感想のような体験をするという意味ではなく、あくまで僕自身がこの両グループに参加して感じたものをかなり代弁してくれているということと、Tグループに関心がある方に対して、何らかの情報になればという意図である。
出典は、 増田 實 「エンカウンター・グループから学ぶー新しい人間関係の探求」 九州大学出版会 1991年(P39〜P55) である。
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私にとって今回の清里が、全く初めてのエンカウンター・グループへの参加でした。少し本で読んではいたものの、この五泊六日の合宿の何があるのか、どんな人が集まるのか、何が起こるのか、自分はそこで何をするのか、自分で何を得ようしているのか、そのようなことも具体的なイメージが湧かず、ただ不安と緊張感と、それの加えて、まあなるようになるだろうという気持ちも参加前にはあったように記憶しています。
受付のあとの最初の全体会の進行は、ただひたすら状況を見守るだけでした。どう流れても自分は大丈夫だという感じもありました。(中略)
スモール・グループにいける最初のセッションは、「ここでは何をするのだろうか」という疑問に尽きました。(中略)「自己紹介でもするのですか?」という私の問いにも、してもいいし、別に決まっていない、という答え。(中略)自己紹介の名乗りが二人程度の人からあげられる。私自身は、自己紹介をしなかった。(中略)それが私自身をよく表すとは到底思われなかったから。そして沈黙。居心地の悪い沈黙。知らない人たちの中にいる、という極度の緊張感。普段の生活でなら間をもたせるだけの会話をして、それがとぎれれば挨拶をして別れてそれぞれの方向に歩み去るであろう。しかし、ここでは歩み去ることはできない。間をもたせるとしても、六日間、十二回のセッション全部を、そんな表面上の話で過ごすことは不可能と思えた。とにかくここでは、ひたすら十二名が集まって沈黙がある。私のじたばたは、今何をすればいいんだろうか。私の果たせる役割があるんだろうか。あるとすれば、それは何だろうか。周りのこうして黙っている人たちは、どういう人々で何を考えているんだろうか、という焦りからだった。
誰かが会話のボールを投げる。誰かが受け止めて、また投げようとする。でも、相手のことについては、そこにいる姿とその時に発した言葉とでしかわかっていないために、受けとめそこねて相手の機嫌を損ねてしまう時もある。表面上は「別に何でもありませんよ」と言いながら、心の奥の損ねた機嫌は、人に見せずにしまいこんでしまう。本音とたてまえ。それが使い分けられるのが大人、とされる社会がそこに顔をのぞかせている。私はそこにいながら、自分の出番と役割を黙って探しあぐねていろいろ考えて、でもそれではダメだ、などと思ってじたばたしているうちに冷や汗が出て、緊張の余り気分が悪くなっていったのを覚えています。
やがて二時間が経過し、第一回のセッションが終了して廊下に出ると、グループのメンバーの一人が、自分も初めての参加で居心地が悪かったけれど、何かしゃべりたければしゃべるし、しゃべりたくなければしゃべらない、という気持ちでいようと思っている、と話しかけてくれました。その言葉ですっかりふっ切れて、じたばたしていた自分と、じたばたの原因―「何かをしなければならない」という私の中に無意識に入りこんでいた指令―に気づきました。
「〜したい」ではなくて、「〜しなければ」という気持ちで生きてきたそれまでの自分から抜け出そうと、少し前からし始めていたのに。(中略)次のセッションからは、なるようになると自分をその場に預けて、状況にまかせて、くつろいだ姿勢をしたり目を閉じたりもできるようになって、おちついて参加していました。(中略)
2011年10月25日
マッチポンプ
社会には、営利企業によって開発され製造販売されたものによって便利になったもこともたくさんある反面、従来の社会的な慣習や生活が改悪されたものもたくさんある。
しかし、後者の側面については、社会にもたらされる情報のほとんどが広告収入によって成り立っているマスコミによってもたらされているために報道されることが少ない。
ランニングシューズやジョギングシューズもそんな事例の1つであるという話を「BORN to RUN」という本で読んだ。
最近はランニングがブームで、関西でも神戸や大阪で大きなマラソン大会がひらかれるようになってきている。
しかし、歩くことに比べると走ることは膝をはじめとする身体のパーツに与える衝撃は大きく、その衝撃を受け止めために身体に大きな負担が生じる。その負担が大きいが故に膝などに故障が生じるランナーもランニングブームによって増加中である。
もともとランニングシューズは、そんなランナーの故障をなくすために、踵部分などにクッション機能等を備えたツールであるが、そのクッション機能が人間の身体にもともと備わっていた機能を損なわせ、かえってランナーの故障を増やす原因になっているという事実がある。
そこで故障を回避してランニングを楽しむために、いま、裸足ランニングが静かなブームになってきている。裸足で走ることによって、もともと人間に備わっていた原初的な走る機能を取り戻そうというムーブメントである。
そして、マスコミによってこの裸足ランニングが紹介され、同時にこれに興味を持った人向けに裸足感覚で走れるランニングシューズが紹介されている。このランニングシューズは、シンプルな作りに反して、値段は踵などに高機能を仕込んだ高級ランニングシューズよりもさらに高額である。
故障を減らすと謳った高額なシューズで大儲けをし、そのシューズで故障者を増やし、その反動の原点回帰で裸足ランニングが流行ると、今度は裸足ランニング向けのさらなる高額シューズでもうひと儲けする。
これはどう考えても営利企業によるマッチポンプ行為(マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す偽善的詐欺行為)であり、また、そのほんの氷山の一角にしかすぎない。
2011年09月26日
筆文字ことはじめ
昨日は、奈良の仲間とやっているタカジュフン@奈良の主催で、路上詩人のyoshiさんを先生に呼んで、味のある筆文字を書いて石のオブジェを作るワークショップ『筆文字ことはじめ』を行いました。
簡単にワークショップの内容をお伝えすると。まず、自分が書きたい文字や言葉を考えて、墨と筆で半紙に書いてみます。次に、yoshiさんから味のある筆文字が書ける3つの法則を教えてもらって、法則にそって先の文字や文章を書く練習をします。そして本番用の和紙に練習した筆文字を清書し、自分の落款を彫って押します。最後に、手のひらサイズの石に文字を書いた和紙をのりで貼り付けて完成。こんな手順で世界にひとつだけの筆文字アート作品を作りました。
yoshiさんに教えてもらった味のある筆文字を書く3つの法則は、@文字のバランスを崩すA文字の太い細いの強弱をつけるB文字の大きい小さいの強弱をつける、というもの。
yoshiさんの分析では、ほとんどの路上詩人がこの法則で書いていらっしゃるそうで、本当にそれだけであら不思議、自分たちの文字や言葉が、どこか味のある筆文字に変身してしまいました。
個人的には、筆ペンではなく、本当の墨と筆で字を書くなんて久しぶりでしたが、何度も書いていると、筆について墨が紙にすーっとしみ込んで線になる感じが、だんだんと気持よくなっていく体験でした。
さて、出来上がった作品の出来栄えはというと。家に帰って嫁さんに作品を見せると、「え〜っ、これほんとに書いたの。これ売れるよ〜」という高評価。自分ではまだまだと思っていたのですが、思いがけず褒められてニヤけてしまいました。他の参加者のみなさんも、素敵な作品をそれぞれの「味出し」で作っていて、本当に楽しいワークショップになりました。
ちなみに、僕が和紙に筆文字で書いた言葉は、「ひとりじゃない」
自分一人で、できていると思っていることも、自分ひとりじゃなく、実はたくさんの人のお陰でできている。そして、自分はひとりぼっちだと思っても、本当はたくさんの仲間に温かく包まれていて、決してひとりじゃないよ、という今の気持を込めて書きました。
by やま
2011年08月28日
残念な剣道少年と大人
今日、電車に乗っていたらドヤドヤと大きな剣道具と竹刀を持った剣道少年たちが乗ってきた。
一緒に指導者らしい大人と、少し向こうには少年たちの母親たち。
この剣道少年たち、剣道をやっていると思えないような躾のなってなさ。
チビのくせにつり革につかまらずに、フラフラしながら仲間同士でふざけあってたり、竹刀で小突きあいしたり。
通路は剣道具が置かれ、誰も通れないからシルバーシートは空いているのに誰も座れりに来れない。
周りの乗客(自分も含め)は、迷惑な顔の者、不安そうな顔。
挙句の果てに、疲れているのかシルバーシートに座って寝る子供も。
そして、すぐ近くにいる指導者らしい大人はぜんぜん注意する気配もない。
そんな様子を見ていて、思ったことが3つ。
1つは、剣道は今やたんなるお稽古事に成り下がり、竹刀を振り回す前に必要な礼節・心はどこにもないし、教えられもしていなさそうだということ。
もし教えられているなら道場の中でなく、普段の生活で活かさなければそれは「道」ではない。
2つは、剣道の指導者でなくとも、自分がこんな子供たちを連れていたらしっかり叱りそうなものなのに、それをしない指導者は、叱ると同乗のモンスターママからクレームをつけられる(生徒が減って収入が減る)ことでも恐れているのだろうかということ。
3つは、このクソガキども、蹴り入れたろか。
どちらにしても、この子供たちはなんのために剣道をやっているのか、この指導者は何を教えているのか。
どっちも剣道なんかやめてしまえと正直思った。意味ないし。
日本の未来はやはり暗いのか。
(これが剣道少年でなく、サッカー少年だったら、また自分の感じ方が違ったかもしれない)
そして最後に。
迷惑だと思っているのに、子供を叱れもしない自分が一番残念な人でした。
きっと、その時叱れていれば、いまブログにも書いていなかっただろう。
なんのために人間関係トレーニングをやっているのか。誰かさんたちの剣道と変わりなし(寒)
2011年07月25日
健康な身体に健全な精神が宿る?
前回、大型二輪の免許を取るために自動車学校に通った話をブログに書いたけど、同じ頃からはじめたことがある。
それはスポーツクラブに通い始めたことだ。
僕のライスワークである会計監査の仕事が続くとストレスでついつい甘いものなどを過食してしまう。
(話は違うが、この過食の体験から、人間って欠落感を感じるとそれを補うため過食して、その穴を埋めようとするのかなと実感している)
そして体重が80kgを超えると、僕のなかで非常警報が鳴って、重い腰をあげてダイエット開始となる。
今回もそのスイッチが入って、仕事が暇になりはじめた6月なかばごろからスポーツクラブに通い始めた。
通い始めて感じたことは、適度に身体を動かすって、気持がいいな!ってことだった。
当たり前のことなのかもしれないけど、それを今回実感したしだいである。
身体を動かしていると、それまで不安に思っていたことやと考えすぎていたことがスッと消えて(または薄らいで)、気持が楽になっている気がする。
自分はけっこう考え出すと煮詰まるぐらい考えてしまって、かえってストレスになるようなタイプなので、適度に身体を動かすことは、僕みたいな考えすぎがちな人間にはとくに有効なのかもしれない。
いつもスポーツクラブに行くと、30分程度バイクとランをして身体を暖めてから、ストレッチをする。
そして、マシーンを使って上半身と下半身の筋トレを少々。
仕上げにもう一度長めにバイクとランをして、最後に軽くストレッチをしている。
1時間半から2時間程度の時間だが、結構汗をかくので帰る前にお風呂に入って汗を流す。
このお風呂がまた気持いい。
お風呂に入って今日の運動も終わった時になると、汗が流されてさっぱりするだけでなく、今日もしっかり一日の仕上げに身体を動かしたぞという充実感がわいてくる。
お風呂からあがるとしっかり体重計にのって、体重が減った・増えた(前の日に飲みに行ったりするとすぎに1kg程度は増えている)ことを確認する。
もちろん、体重が減っているとうれしいので、よしよし順調に減っているぞと、ひとり心の中でほくそ笑む。
先週から新年度の会計監査の仕事がスタートした。
なんとかこの身体を適度に毎日動かす習慣を、仕事が忙しくなっても続けたいものだといま思っている。
ちなみに、一緒にスポーツクラブに入った嫁さんは、トレーニングはせず、お風呂とマッサージチェアをもっぱら楽しんでいる。
実は、僕の腰回りについた贅肉の浮輪をつまんだりして笑っていた嫁さんをそのうち見返してやるぞと密かに思っているのであった。
(毎日、汗でぐっしょりになった洗濯物をすぐに洗濯してくれている点については、嫁さんに本当に感謝である)
2011年06月30日
卒業検定でのひとコマ
ふいに思い立って、大型二輪の免許を取るために30年ぶりに自動車学校に通い始めた。
実は、今日は卒業検定の日でした。
一緒に検定を受ける人たちは7名ほど。僕の順番は3番目。遅くもなく早くもない、まずまずの順番。
みんな、1番の人が呼ばれるまで、黙って準備をして待っている。何も言わないけども、みんな一様に緊張しているのがお互い感じられた。
いよいよ1番の人が呼ばれ、検定が始まった。ドキドキはさらに高まる。
コースを間違えないだろうか。一本橋で脱輪しないだろうか。クランクや8字でコーンを倒してしまわないだろうか。急制動で止まれなかったどうしよう。考え出すと不安なシーンが次々浮かぶ。
じっと待っていると緊張感が余計に高まりそうだったので、少しみんなと離れて、ストレッチをしてみた。ストレッチしてみると、緊張でうまく手や足に力が入らない。自分が緊張していることを改めて実感。
そうこうしている間に、僕の1つ前の2番目の人が走り出した。小柄な女性だけど、僕と一緒の大型二輪を受験する。やはり同じ大型とあって自然と見入ってしまったが、まるで自分が運転しているような気になっていた。最初の出だしで、エンジンがかからないというトラブルがあったけど、その後は順調に進んでいるように思えた。あともう少し。残るは最後の課題である波状路。最初はいい調子で波状路を進んでいったけど、ゴール手前でコースから外に出てしまった。その瞬間、試験官の先生からマイクで中止して最初の出発点に戻るように指示されてしまった。え〜、ほんとうにあともう少しだったのに。すっかり彼女になりきってしまっていた僕は、自分のことのようにショックを受けた。しかし、彼女に
同情している暇はなかった。次は自分の番だ。ショックから早く平常心に戻らないと。
この中止には、僕だけでなく、他の生徒もショックを受けているようだった。ほぼ初めて会った知らない人同士なのに、ただ一緒に検定を受けているだけでなんだか一体感をこの時に感じた。同じ課題を背負った境遇にあるとき、人は自分と他者を重ね、素直に相手の立場になり、みんな受かってほしいという気持ちになっていたのではないだろうか。即席の同じ目標を持ったグループが現れた気がした。
そして僕の名前が呼ばれ、平常心、平常心と心の中で唱えながら、バイクに向かって歩いていく。
正直、検定がはじまってから終わるまでのことはよく覚えていないけど、とにかく大きなミスもなく、みんなの待つテントに戻った。みんなはすごく落ち着いてたよと声をかけてくれた。うれしかった。僕が無事に走りきって戻ったことでみんなも少し安心し緊張感が緩んだようで、この時あたりから自然と受験生の間で会話が起こり始めた。すでに検定を終えた人、まだ検定も待つ人も一緒になって。
年代も、性別も、職業も、おそらく価値観も違う受験生たちだったけど、ただ1点、検定を受けるという点だけが共通したいただけで、こんなにもオープンな気持ちで話せるんだなと素朴に不思議に思った体験だった。
ちなみに検定の結果は、無事合格。やれやれ。でも、実は本当の戦いはこれからだったりする。嫁さんとの熾烈な戦いを今度はただ独りで乗り切らないといけない・・・・。
実は、今日は卒業検定の日でした。
一緒に検定を受ける人たちは7名ほど。僕の順番は3番目。遅くもなく早くもない、まずまずの順番。
みんな、1番の人が呼ばれるまで、黙って準備をして待っている。何も言わないけども、みんな一様に緊張しているのがお互い感じられた。
いよいよ1番の人が呼ばれ、検定が始まった。ドキドキはさらに高まる。
コースを間違えないだろうか。一本橋で脱輪しないだろうか。クランクや8字でコーンを倒してしまわないだろうか。急制動で止まれなかったどうしよう。考え出すと不安なシーンが次々浮かぶ。
じっと待っていると緊張感が余計に高まりそうだったので、少しみんなと離れて、ストレッチをしてみた。ストレッチしてみると、緊張でうまく手や足に力が入らない。自分が緊張していることを改めて実感。
そうこうしている間に、僕の1つ前の2番目の人が走り出した。小柄な女性だけど、僕と一緒の大型二輪を受験する。やはり同じ大型とあって自然と見入ってしまったが、まるで自分が運転しているような気になっていた。最初の出だしで、エンジンがかからないというトラブルがあったけど、その後は順調に進んでいるように思えた。あともう少し。残るは最後の課題である波状路。最初はいい調子で波状路を進んでいったけど、ゴール手前でコースから外に出てしまった。その瞬間、試験官の先生からマイクで中止して最初の出発点に戻るように指示されてしまった。え〜、ほんとうにあともう少しだったのに。すっかり彼女になりきってしまっていた僕は、自分のことのようにショックを受けた。しかし、彼女に
同情している暇はなかった。次は自分の番だ。ショックから早く平常心に戻らないと。
この中止には、僕だけでなく、他の生徒もショックを受けているようだった。ほぼ初めて会った知らない人同士なのに、ただ一緒に検定を受けているだけでなんだか一体感をこの時に感じた。同じ課題を背負った境遇にあるとき、人は自分と他者を重ね、素直に相手の立場になり、みんな受かってほしいという気持ちになっていたのではないだろうか。即席の同じ目標を持ったグループが現れた気がした。
そして僕の名前が呼ばれ、平常心、平常心と心の中で唱えながら、バイクに向かって歩いていく。
正直、検定がはじまってから終わるまでのことはよく覚えていないけど、とにかく大きなミスもなく、みんなの待つテントに戻った。みんなはすごく落ち着いてたよと声をかけてくれた。うれしかった。僕が無事に走りきって戻ったことでみんなも少し安心し緊張感が緩んだようで、この時あたりから自然と受験生の間で会話が起こり始めた。すでに検定を終えた人、まだ検定も待つ人も一緒になって。
年代も、性別も、職業も、おそらく価値観も違う受験生たちだったけど、ただ1点、検定を受けるという点だけが共通したいただけで、こんなにもオープンな気持ちで話せるんだなと素朴に不思議に思った体験だった。
ちなみに検定の結果は、無事合格。やれやれ。でも、実は本当の戦いはこれからだったりする。嫁さんとの熾烈な戦いを今度はただ独りで乗り切らないといけない・・・・。
2011年05月26日
草むしり
うちには和風の庭がある。
草むしりが大変にならないように砂利を敷いてあるが、それでも、春になり夏が近づくにつれて庭には雑草がたくさん生えてくる。
この家を買うときに、嫁さんに庭掃除はあなたの担当よという約束で買ったのだが、正直、僕は草むしりが嫌いだ。
まず、雑草が伸びる季節は庭には蚊がたくさん飛んでいて、草むしりをしていると、耳元でプ〜ンって音をたてるわ、刺されて痒いわでおちおち草をむしってられない。
それよりもっと嫌なことがある。
この家の持ち主である僕は、庭に生えたある種の植物を雑草と呼んでひっこぬく。
雑草と呼ばれるものは、庭の邪魔ものとして問答無用で抜かれて命をたたれ、傷つけられる。
その一方で、苔などは庭の一部とされて大事にしている。
僕は、同じ生き物であるこの植物たちの中の、あるものを抜いて排除し、あるものを生かす。
この植物たちに、生死を分けるほど、いったいどんな違いがあるというのか。
結局は、この家の持ち主である僕の価値観に合うかどうかで区別されているだけである。
春などは、雑草と呼ぶものにも、かわいい可憐な小さな花をさかせているものもある。
ちょこっとしていて、ほんとうにかわいらしい。
寒い冬を生き延び、暖かな春を喜ぶように咲き始めた小さな花。
この花を咲かせている草も、かわいいなと思いながらも、結局は雑草として抜いてしまうのだが、そんなとき、複雑な気持ちになる。
そこで、少しでも自分の心が痛まないように、根っこを残してみたり、抜くときにごめんねって言ったりする。
それでも、小さな花をさかせた雑草はたくさん生えているので、いちいち心を痛めていては庭掃除にならない。
エイヤッと、心に蓋をして引き抜いていくうちに、徐々に何も感じなくなっていく。
こんな感じで草むしりをしているから、いつも終わったときには、すっきりした庭を見て気持ちいい反面、どこか心がモヤモヤして嫌な感じが残るのである。
植物を自分の価値観で勝手に区別する僕には、口では環境の多様性が人間社会には大事だなんてきれいごとを言いながらも、どこかで人間のことも区別・差別して、あるものは排除しようとする面があるのだと思う。
草むしりをしながら、僕はそんなことを考えてしまう。