2011年04月26日

人のふりみて、我がふり直す

posted by JIEL STAFF at 11:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
東日本の大震災でたくさんの人が被災し、いまも避難所暮らしで自分たちの住む家にも近寄れず、復興・修復の道のりにつけずにいます。そして、多くの方がなんとかこうした被災した人たちの力になりたいと、ボランティアとして現地に入っています。
そんな中、ある被災者をご家族を持つ方のメールを読ませていただく機会がありました。そのメールには、被災した人たちが、一部の心ないボランティの方の言動によって、「津波でも地震でも失うことがなかった財産を、人災で失うことになった」という以下のようなお話が書かれていました。

それはボランティアが被災した家の片付けを手伝いに行ったときの出来事にからむお話で、ボランティアが被災した家に行き、まだ何もやっていないと被災者を叱る、まだ使える食器などの家財道具や思い出の品物を家主が捨てないで言っているのに勝手にボランティアが捨てる、そんな家主の意向を聞かないボランティアに被災者が意見すると、「この人は偉い人なのよ」と他のボランティアが言ったり、ボランティアは保険をかけて善意できているのに被災者に心の傷を負わされた、これは人災だと言うというような話でした。
これらは一部のボランティアの言動であり、大部分のボランティアの方はこんなふうではないと思いますが、それにしてもひどい話です。
日ごろから人の気持ちになって人を助けるということをしたことがない人がボランティアをすると、こんな悲惨なことが起こるのかと愕然とすると同時に、被災者の方々の心痛を思うと怒りがこみあげました
そして、ボランティアも含めた「他者を支援する」ということは、改めて難しいことだなと実感しました。問題の根っこは、他者(ひと)を助けることで自分を利するという動機で人とかかわることにあるのかもしれません。つまり、人を助けたり、人から頼りにされることで気持ちよくなったり、自分は何もしていないという罪の意識から逃れるなどの自己の精神的な利益を得るために他者にかかわることの危うさです。
でも、これは他人ごとなんだろうか・・・。ファシリテーションも人を支援することの1つのかかわりであり、自分は果して自分の利益のためにファシリテーションを通して人とかかわっていないと言い切れるだろうか?という思いが同時にわいてきました。正直、自信がありません。せいぜい自分にできることは、自分を利するために支援するのがいけないということで何もしないのではなく、自分がどんな動機をもって、他者にいま何をしようとしようとしているのか・何をしたのかに、常に気づこうと心がけることぐらいな気がします。
上のボランティアによる被災者への人災の話を読み、これは読んでみなければと思った文書があります。その文書は阪神大震災をきっかけに作成されたという「支援者用注意事項一覧」です。読んでみて、これは今回のような大災害で被災した方の支援に特有な事項が書かれたものだけど、おおむね支援一般について言えることであり、ファシリテーションで注意することにも通じることが多いと感じました。上のボランティアによる人災の話を、「人のふりみて、我がふり直す」につなげられればと思いました。

(「支援者用注意事項一覧」にご関心のある方は、次の「兵庫県こころのケアセンター」のHPで詳しい資料を入手することができますので、どうぞご覧になってみて下さい。http://www.j-hits.org/psychological/index.html

2011年03月25日

人を集めのストレス

posted by JIEL STAFF at 18:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | 山岸 裕
一昨年から自分(たち)でワールドカフェなどのイベントを定期的に開催するようになったが、主催者の大事な仕事の1つが、人集めである。
ところが、この人集めが僕にはけっこうストレスになっていて、人が集まらないと精神的にへこんだり、次やるのが怖くて億劫になる。
そんなことから、自分について見えてきたことがある。

僕(たち)がやるイベントは、ワールドカフェや非構成のグループなど、一般的になにをするのかわかりにくい。
そのため参加してくれる人は、自分と知り合いであるなどの、なんらかの人つながりで来てくれる人が多い。
そんなことから、人が参加を決める際の決め手は、結局は、すすめてくれている人が「誰か」ではないかと感じるのだが、そのこととの関係で、自分(たち)が行うイベントに人が集まる集まらないということを、自分の評価と関係させている自分が見えてきた。
つまり、その「誰か」が自分だとして、自分が信頼されていれば、自分が魅力的に見えていれば、さらに、自分が信頼されている人や魅力のある人とネットワークがあれば人が集まるはずで、逆に、人が集まらないということは、自分がそうでないダメな奴だと意味づけしている。
また、それらのイベントは自分一人でやっているわけではないのに、そんな風に自分の評価と直接結び付けて考える自意識の強い自分の姿は、自分のダメダメ感をさらに強め、自分にがっかりしてしまう。

それでも、自分でイベントをして人を集めるようになったことで、それまでは気がつかなかった、または、気づかずにすんでいた、なんでも自分に対する評価として捉えがちな自分の姿がはっきりと見えてきたことは、正直しんどいけど、自分をよく知るためにはとても役立ったと思っている。

ところで、イベントをやっている他の人たちってどうなんだろう。僕みたいなことないのかな〜?

やまぎし

2011年02月25日

成績評価は簡単じゃない

posted by JIEL STAFF at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
大学で授業をするようになってもう5年間がたった。
毎年この時期は、新年度の授業のシラバスを作る。

僕の授業では、学生同士のグループ・ディスカッションやグループ・ワークを積極的に行っている。

最近は、就職状況が非常に厳しい中で、多くの企業が就職面接にグループ・ディスカッションなどを行うこともあってか、グループ・ディスカッションをするからという理由で、僕の授業を受講する生徒が増えているように感じるが、それでも、当然、グループ・ディスカッションがしたくて僕の授業を受講する学生ばかりではない。

だから、毎回、授業が始まってしばらくは、小中学校の班活動以来となるグループ活動に、少なくない学生が戸惑い、抵抗を感じる。しかし、一方的に教えられるのではなく、学生同士が自分たちの意見を自由に話し、聞き、同じ大学生でも自分とはこんなに違う考えがあるのかと驚きながらも、出された様々な意見を苦労してグループの意見へとまとめる。多くの学生は、そんなグループ活動の面白さに徐々に目覚めていくようである。そんな様子が、授業終了時に出してもらう感想レポートから見えてくる。大学で授業をやっていて一番よかったと思える瞬間である。

実は、いまシラバスを作成しながら、迷っていることがある。

授業の感想レポートには、「やる気のない学生がいるだけでグループのムードが悪くなり、やる気が落ちる」、「グループ・ディスカッションをやる気のない学生をなんとしてほしい」「グループ・ディスカッションでやる気のない人に対してなんらかの減点(ペナルティー)を与えてほしい」といった意見が毎年寄せられる。

授業ではグループ・ディスカッションに取り組むこと自体を評価するために、1回の受講に一律4点の出席点をつけているが、一方でこの評価方法が単に単位の取りやすさだけで僕の授業を受講する学生を生み、かえってグループ・ディスカッションの活性化を妨げているようなのである。
だから、出席点を止めようかどうしようか、シラバスを作るにあたって迷っている。

結局、新年度の授業では思い切って成績評価の仕方を変更をしてみようと考えている。
新しい成績評価の方法では、まず一律4点の出席点をつけることを取り止める。そして、もっとグループ・ディスカッションに取り組む学生の姿勢・態度を反映できる方法で出席に関する評価を試みたいと思っている。

しかし、そのための妙案はまだない。どうしたらいいものか・・・・。
とにかく、授業の中で学生と一緒に、僕も学生も納得できる方法を考えてみよう。
今はそんな風に思っている。
成績評価は簡単ではない。

山岸 裕

2010年12月25日

あ〜面倒な大掃除

posted by JIEL STAFF at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
今日はクリスマス。
奈良では雪がちらついて、クリスマスにピッタリの空模様?
でも、寒〜い。
寒くなると、寒がりの僕は、やっぱり冬でもあまり寒くならないほうがいいって感じます。

さて、今日でクリスマスも終わり、いよいよ年末本番。
年末と言えば・・・・。
そう、大掃除、おおそ〜じです。
僕はこれが嫌いです。なんせ掃除が嫌いなんだから、それに「大」なんてついたら、もうぞっとします。

今年は、とくに大仕事が残ってまして。
3月に4年間続けた大学の仕事が終わり、研究室を明け渡すことになりました。
その研究室には、研究費で買った本を含めて、たくさんの本がありました。
それを全部、自宅の自分の部屋に持って帰ってきました。
そのお陰で、もう部屋はいっきに本の倉庫状態。
また4月から自宅の改装も始まり、置き場のなくなった雑多なモノたちが、僕のにわか倉庫になだれ込み。
それはそれはおぞましい状態になってしまいました。

自宅の改装も終わって7カ月。
嫁さんから、ずっと「どうするのあの部屋」と言われ続け・・・・。
今日もだらだらした一日が終わりかけた夕方、再び「どうするの・・・」と詰め寄られ。

よ〜〜〜っしゃ。もうやったるわい。

ということで部屋の片づけに、ついについに重い腰をあげて取りかかりました。
まるで数年前の修士論文を片づけたときを彷彿とさせます。
あのときと変わらず、自分はほんとうにお尻に火がつかないと面倒なことは片づけられないままです。

とにかく、この本棚の前に積み上がった本たちをなんとなしないと、どうにも片付かない。
でもどう考えても、この本全部を部屋に納めるのは無理ということで、積み上がった段ボールを開けては、より分け、開けてはより分けし、8つの段ボールいっぱいの本たちを、さっきブックオフ送りにしてきました。
さよなら、本たちよ。あーまだ読んでない本もたくさんあったな〜。

本をより分けしながら、一回も読んでない本をブックオフ行きの段ボールに入れるたびに、あ〜もったいない。この本買った本代やら送料を合計したらいったいいくらになるのか。
オレはいったいなにやってんだろうと自分がバカに見えてきます。

そんなわけで、たまった本を片づけて疲れたのと、自分のバカさ加減に疲れたののダブルパンチで、すっかり疲れてしまいました。
少し慰めになるとしたら、だいぶ部屋が片付いたってことぐらい。
まだ部屋は本が少なくなっただけでまだグチャグチャだけど、今日は、ブックオフに本を持って行ったところで燃料切れで片づけはお終い。

とここまでなんだか締まらない内容になってしまったので、ちょっとだけ最後にまともな内容を。

最近、僕の地元奈良から2つほど体験学習の研修のお仕事の依頼をいただくことができました。
南山大学のおひざ元、名古屋近辺に津村所長をはじめ、ほとんどのJIELの研究員がいます。
それで自然と、JIELは、名古屋が活動の中心になり、研修の依頼も名古屋及び名古屋近郊地域からのものが多くなります。
そんな中、津村所長が行った研修やホームページでの体験学習の紹介がきっかけになり、奈良から仕事の依頼をいただくことができ、奈良からの依頼ってことで僕が担当させてもらえることになりました。
やっぱり地元の奈良で体験学習の普及活動ができることは嬉しいことです。
今回のご縁が深まって、広がっていくといいな思います。

みなさんもきっとこれから大掃除ですよね。僕も残りの部屋の片づけと風呂掃除、がんばります!
あっ、年賀状もまだった・・・。とほほ、嫌なこと思い出したわ。

2010年01月09日

私は年末年始が嫌い

posted by JIEL STAFF at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山岸 裕
みなさま、新年あけましておめでとうございます。
今年もJIELを、どうぞよろしくお願いします。

さて、唐突ですが、みなさんは年末年始がお好きですか?
実は私は年末年始が好きではありません。
大人になってお正月にお年玉をもらえなくなってから特にでしょうか。

では、なぜ好きでないか。
それは私が面倒くさがりであることが大きく関係しているようです。
ちょっと思いつくまま、理由をあげてみます。

@大掃除が面倒くさい。(私は家の外回り担当ですが、この時期は外は寒い・・・)
A年賀状を書くのが面倒くさい。
B出していなかった年賀状を追加で出すのが面倒くさい。
C雪の中(最近は減りましたが)を実家の金沢に帰省するのが面倒くさい。
Dお正月、実家でくだらないテレビを見ながらグダグダするのが嫌い。
E実家に帰って、両親のどうでもいい言い合いにイライラするのが嫌い。
F新年があけてからいちいち会う人に、「新年あけまして・・・・」と言うのが面倒くさい。
G仕事がなくて朝ダラダラと寝ている自分が嫌い。

と、こんな感じでしょうか。

新年も9日になるというのに、こんな書き込みを書きながら、今日もうっかり起きたら12時だったことを正月のせいにしている自分がいるのでした。

そして、今年の年賀状に書いた、私の今年の一文字は「落」。

もっともらしいことを書き込んで、あ〜なんと新年らしい気持が引き締まる書き込みなんだろう!なんていう「新年はこうでなきゃ」をちょっとここで落してみたのでした。
(落ちたのが、JIELの品位でないといいのですが・・・)

う〜ん、なかなかいい出だではないですか。

研究員 やまだん